21.8.5. 文体

101.今日の一日
 友達に会いました。会ってすぐルックバックの話を切り出しました。早々に話を切りあげられたかと思えば、僕がいまだに思春期っぽい理由をとうとうと説かれてしまいました。そのあとも僕の文章が読みにくい理由を8個くらい挙げられました。悪いところを指摘してくれる友達って貴重だなあ! 別れてすぐサンドイッチ屋のギャルに泣きつきに行きました。

 ちなみにフランス語は二日目にして挫折しました。

102.文体練習[1] 素直に

 二年生最初の日は最悪の幕開けでした。早起きして臨んだ一限は休講。モーニングはどこも閉まっていて、ついでに図書館にも門前払いされました。さらなる悲劇を予感した僕は、サンマルクで三時間虚空を見つめた後、道玄坂を重い足取りでうろついていました。
 ふと目についたのは一軒のサンドイッチ屋でした。色彩乏しいビル群の隙間で、オレンジ一色の内外装が毒々しく目を引いていました。そのくせ客は一人もいませんでした。一種の妖しさが感じられました。「ここってお酒以外もやってますか」、僕は気づけば戸を押していました。
 スマホから顔を上げるカウンターの店員。僕を狭い店内へと誘った彼女は、おもむろに話を始めました。取り留めのない話は、席に着くときもサンドイッチを食べているときも、いつまでも止まりませんでした。彼女はギャルでした。オタクに優しいギャルでした。ありがとう次いつ来るまた来てね、かしましく見送られながら店を後にした足取りは、その日で一番軽やかでした。
 あの日からそろそろ半年。渋谷に用があるたびに、僕はその店に立ち寄ることにしています。

103.文体
 映画美学校というところで、週に一度のオンライン授業を受けています。文章に関する授業です。そのコンセプトは「自分のことばを見つける」。現に今のところ受講した二回分の授業でも、文体のオリジナリティについて多くのことを学びました。講師は佐々木敦先生です。
 師曰く、良い文章が良いとは限らないらしい。良い文章とは読みやすい文章です。読みやすいということは、普遍的で、癖がないということです。しかしリーダビリティはオリジナリティとゼロサムゲームをなしています。魅力ある文章とは癖のある特殊の文章に他なりません。ことばの学校コースでは個性のある文体を教わることができる。先生からは、そういったお話を伺いました。
 ところが知己曰く、僕の文は「納豆のようにねばついていて」、「一文一文が長」く、「外国文学の直訳のようにぎこちない」上に、「常体と敬体が入り混じってい」て「気持ち悪い」。耳の痛さが、どの声も的を射ていることを証左しています。きっと改善すべきなのでしょう。
 それでもやはり、読者との摩擦のしかたこそ文体なのだ。保守と革新とのはざまで右往左往する今日この頃です。

 ちなみに【102】の「文体練習」は、佐々木先生が挙げられていた「自分のことばを開発する」練習方法のひとつです。もちろんレーモン・クノー『文体練習』が元ネタです。今後もぼちぼち続けていければと思います。ノンフィクション。

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