21.8.6. 先が思いやられる

104.今日の一日 
 個別指導をしただけの特筆すべきことのない一日でした。フランス語はしませんでした。

105.文体練習[2] 簡潔に

 不幸にうなだれ、そぞろに上る道玄坂。僕は一軒の店に目を奪われた。毒々しいオレンジ色の店だった。客は一人も見当たらない。妖しさすら感じられたが、僕は気づけば戸を押していた。出迎えてくれたのはギャルだった。彼女はおもむろに話しかけてきた。話は帰るまでずっと続いた。手を振られながら下る坂はどこか軽やかな気がした。

 コメント:たぶん200字もないですが、書くのにとても苦労しました。何度も書き直しました。おそらく僕の文体とは相性の悪い条件だったのだな。まだ満足いってないけどそろそろ8月8日になっちゃうからタイムアップ。疲れた。

106.先が思いやられる
 もうあと12分で毎日更新途切れちゃうので、メモ帳に残されていた文を載せて寝ます。ずいぶん前に書いたやつです。いつ、何の用途で書いたのかさっぱり覚えていません。
 なぜこうも切羽詰まっているのかというと、さっきまでベッドで虚空を見つめていたからです。あと文体練習にとても時間を取られた。毎日更新なあ。先が思いやられる。

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 大学に入ってから盲信できる大人がいない。両親を始めとして、かつて尊敬していたお歴々は皆相対化して見るようになってしまいました。受験時代の先生は今でも畏敬の念を払っていますが、残念ながらお目にかかる機会がありません。絶対的な強キャラが欲しい今日このごろです。あわよくばぴしゃりと叱咤されたい。
 しかし、いわゆる「大人」が(子供にとっての)「盲信できる大人」なのだとすれば、この状況はもはや僕が大人になりつつあるということなのかもしれない。いつ大人になるかは当人の胸三寸。小中学生を前に子供であろうとするのは見苦しいだろうと、生徒に対してはきっぱりと大人を自称するように心がけていますが、まさかその言葉が真実味を帯びつつあるのか。水タバコも合法になって久しいことだ。
 そうこう言いつつ、パパの買った広い家で、ママの作る名もない炒め物に舌鼓を打つ大学生です。

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