21.8.10 旅行1

110.旅行1

 バスに揺られている。体の落ちつけかたがわからない。初めての夜行だった。アドバイスを受けて買ったネックピローも邪魔に感じた。後ろを振り返る。女性の隣は空席だ。右手にぶつかっていたついたてを勝手に取り外す。隣の席に移動する。席を奥までゆっくりと倒す。ネックピローを装着したら、頭の重さがぐっと首に沈み込んで、深い眠りのふちへといざなわれた。旅行が始まる。
 京都駅に到着した。荷物をホテルに預けて清水寺に向かう。二寧坂に和風のスターバックスがあったので、同行する二人の友人と入店してみた。彼と彼女は大学のクラスメイトだ。
 店は中も和風だった。長い廊下の先で、チャイティーラテのホットを受け取る。日本庭園風の小さな庭が窓の外から覗いていた。座席も、普通のテーブル席もあったが、僕たちが座ったところのように畳の座敷席がいくつかあった。すごい。
 清水寺に至る。僕は日本という国や地理一般に関する一般常識がかなり欠落しているので、清水寺と法隆寺の違いがわからなくて、道中何度も怒られた。
 そのくせここにはもうすでに修学旅行で来ていた。人生で二度目の清水の舞台から地上の木々を見降ろす。高い。先日数メートルの崖から川に飛び込む体験をしたばかりだ。恐怖がやけに生々しい。こんなところから飛び降りる思いだなんて、それはきっと生半可な決意ではないだろう。「舞台」のカジュアルな語感が必死さをくらましていて良くない。みんなもっとこの表現の切実さに気を配るべきだ。いや、でも「必死」と言うとき僕は死について思いを馳せない。ということはレトリックとは慣れによる鈍みを前提とした技術なのかもしれない。高いものを買うたびに高いところから身を投げる想像をしていたらきっと気を病んでしまうし。…とかなんとか考えていたら、また法隆寺と言い間違えて、呆れ顔で怒られた。
 蕎麦に舌鼓を打った後、伏見稲荷に。鳥居も多いが、蝉も多い。蝉は嫌いだ。大きさの割に俊敏だから。虫のキモさとはデカさと速さの積のことだ。
 本当はこの時点でだいぶ疲れていたのだけど、同行者のうちの一人の要望から山頂を目指すことになった。この三人で何かするときは、基本的に僕以外の二人に指針を決めてもらうことが多い。僕は何かと欲がない、というか全般に消極的な人間なので、そこらへんはもう全部任せることにしている。その代わり多少のつらさはできるだけ文句を言わないように心がけている。以前この三人でスノボしに行ったときは、僕だけまったく滑れずにふもとで雪山をずっと眺めていたのだけど、あれはあれで良い雪景色だった。
 清水寺も伏見稲荷も、見ごたえはあるし楽しかったけれど、思い返せば特に描写するようなものはない。でも旅行なんてそういうものだと思う。旅はそれ自体が過程だからこそ旅なのだ。寺を見るという目的を達成するだけなら一人で日帰りで来ればよい。ただ、強いて挙げるなら、眼前のほとんどが紅で染まった伏見の下り坂で、目の端にたまって輝いていた木漏れ日は、緑と赤のコントラスト相まって美しかった。
 これだけ動くとさすがに疲れる。夜に鴨川に行く予定はキャンセルに(僕が相当嫌がったのもあった。何が「もう全部任せることにしている」だ)。夜は京都駅のカツ屋。みんなで「おかわりし過ぎな関東人にぶぶ漬けを出す京都弁の店員」の物まねをしながら食べた。店員イヤだったろうなあ。食後は「つじい」という有名な抹茶スイーツ店で、抹茶ソフトをテイクアウト。落ち着いた甘みに舌を這わせながら帰る。食についてばかり書いていると、どうも「舌」が頻出してしまう。
 男・男・女の旅行なので、僕と男の子は相部屋だけど、もちろん女の子は一人部屋。そこらへんは順当に貞淑なコミュニティです。部屋に入るや否や、彼がテレビを点けて適当にYouTubeを流しているのを見て、うわーすごいなーと少したじろぐ。「テレビを見る人」の動きを初めて見たからだ。僕の日々は基本無音だ。そこはかとないカルチャーショック。
 そしてなんと8月10日は彼の誕生日だ。事前にもう一人の女の子と、24時になった瞬間サプライズで祝おうと示し合わせている。さすが女の子と言うべきか、パーティグッズまでちゃんと用意するあたり、段取りもなかなか凝っていた。…のに、当の彼はなぜかサークルのオンラインミーティングに出席。24時以降も続いていたので、サプライズは当初の予定からかなりずれ込んでしまった。それでもミーティングが終わってから彼を驚かせることはできたので、できばえは上々だったのではなかろうか。4時くらいまで談笑して、いつの間にか寝落ちしていた。景気の良い太陽に汗を搾り取られた一日目だった。心地の良い消耗だった。

111.うわ〜
 うわ〜やってしまった。毎日更新失敗! 今8/12の朝に書いています。
 うわ〜、結局その続きを夜に書いています。帰途の山手線です。ちょうど代々木を過ぎたところ。うわ〜。
 ちなみにネタバレすると三日間ぜんぶ楽しかったです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?