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自分らしさってなんだ

夜の静けさは心地よい。

静けさを感じ取ったのか、様子見をしていた心の声がどんどん溢れてくる。
溢れてくる心の声は、紛れもなく素直な心の声だと感じられる。日中のガヤガヤした時間は、どれが本当の気持ちかわからないことがある。

だから、夜にこぼれる心の声は好きだ。

生活リズムの改善週間なのに、「今日くらいいいか」と、久々に感情に任せてnoteを更新してみる。

そう、「気の向くまま」というのは、簡単ではない。

出来る限り感情を大切にした生き方をしたいって、そう思って生きているけれど、誰かを嫌な気持ちにさせたらどうしようとか、行動してみて信頼を失ったらどうしようと思うとなかなか動けない。

悪いことを企んでる訳ではないのに、正直に行動できない自分がいて、タイムラインにいる「順調そう」な人たちを見て、「自分は行動できなくてなんて情けないんだろう、こんなことしてる場合じゃないのに」って自分を責めてしまったりする。

そうやって、無理やり腰をあげて「テーマを決めてnoteを書くぞ!」なんて意気込んだりして、テーマが定まらず納得いく文章も書けず、また挫折する。そしてまた、「情けないなぁ、自分は」と、自分に呆れ返す。

文章って、そんなに気を張って書かなくていいのに。
何やってるんだろうな全く。

そんな風にふと思った夜だったので、気の向くままに文章を綴ってみている。夜は静かなので、心の声がたくさん溢れてくる。反応にびくびくすることもない、自分に優しくなれる時間。

そんな時間に、「気の向くまま」動いてみることで、心が潤っていく。

「あの人あんなことして…」と思われるんじゃないかって不安になったりするけれど、尊敬する人たちはたぶん、そんなことを思うほど暇じゃなくて、今ごろ前を向いているだろうから。気にするだけ無駄と思うことにする。

自分らしさってなんだ

きれいに文章をしめくくるなら、こんな新しい表題をつけない。でも、元々これを書こうと思っていたので、「気の向くまま」書いてみる。

何かと言うと「自分らしさ」っていう言葉を最近言わないようにしてるなということ。

大学時代から携わっているNPOの活動でもらった「自分らしく生きる」という言葉。この言葉のおかげで、けっこう救われた。

「あ、この気持ちを信じていいんだ」という気持ちを持てたのも、この言葉との出会いだった。でも正確に言えば、この「言葉」との出会いだけでなく、その言葉に想いを込めていた人たちと出会えたことが大きかったんだと思う。

社会がいろいろ動いてる中で、「個人の時代がくる」とよく耳にする。そんな時代だから、「自分らしく生きる」ということがより重要視されていると思う。でも、実際は「自分らしさなんて分からないよ」という声もあるらしい。確かにと思った。

自分らしさってなんだろう

花はたぶん、鏡という存在を知らない。自分はどんな色の花弁をつけているか、知らないで生涯を終わるのかもしれない。たとえ同種類の花がそばに咲いてたって、それが自分と似た姿をしてるのか分からない。だって、自分の姿を見たことがないんだから。

じゃあ、人間は?自分の容姿は、鏡で見ることができる。
でも、感情や思考は、見ることができない。ふわっと現れて消えていく。そこには確かに存在している気がするんだけど、本当にあるかと言われると分からなくなる。それを伝えられるのが「言葉」という手段だけれども、それもすべてを表現してくれるわけじゃない。だから写真とか絵という芸術があるのかもしれない。そして僕は、それらを好きだなと思うのかもしれない。

そんな不確かな感情や思考で構成されてる自分という存在なんて、確かにわかる訳がない。あるのかも分からないんだから。

でもたぶん、僕が最初にその言葉に救われた時、きっとそういうことを言いたくて「自分らしさ」という言葉を用いた訳じゃないことは分かってる。

周りの花に合わせてばかりじゃなくていいよと。自分の心にある喜びや悲しみや苦しみあらゆる声に耳を傾けて、それを信じてあげる。そんな生き方を私たちは応援するよ。

きっと、そんな願いを込めて「自分らしく生きて欲しい」という言葉を使っていたのだと思う。

「だからどうなんだ」と言われてしまうと困ってしまうけれど、心の中にある「やってみたいな」と思う気持ちも、「あの人を困らせてしまうかもしれない」と思う気持ちも、「何を信じていいか分からない」という気持ちも。どれかが嘘とかそんなことではなくて、確かにあるということ。それを認めてあげるということ。

感情に任せるという行動は、その感情を認めてあげられた気がするから、心が潤うのかもしれないな。気の向くまま行動してみる自分も許してあげたいなと思う、そんな夜でした。

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