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与太郎式指南術とは

1.名前の由来

私は1991年12月に初めてPCを購入して、
同時にモデムも購入しました。
で、nifty-serve(@Nifty)とASAHIネットに入会しました。
当時は「パソコン通信」で、
niftyのアカウントからasahiのアカウントを持つ友人に、
メールなどを送信することができなかったのです。
それを可能にしたのがinter-net(ネット間接続)です。
ASAHIネットは早々に退会しましたが、
niftyは続けていました。
そこでの私のハンドルが「与太郎」
これは高校時代に落研にいて
「与太郎」が出てくる話を得意としていたからです。
それ以来インターネットになっても「与太郎」です。
その与太郎が考案した教育法ということで、
「与太郎式教育法」にしようかとも思いましたが、
ここは「与太郎」に合わせて古典落語風に「指南術」と。

2.資格試験教育と教育学

前の記事でも触れましたが、
資格試験教育(社員研修や専門学校も含めて)の現場では、
教育学を学んだ人は、ほぼ皆無です。
私は高校時代から教育学を学び、
教育学の大家のいる大学を受験して不合格になり、
簿記学校に進学しました。
大原簿記やTACと違い、伝統のある専門学校です。
(いまは無くなっていますが商業教育の先達だった学校)
おそらく最初に開校したときの教材を、
基本を変えずに改訂をしながら使っていました。
高校でも簿記は2年生の時に2単位必修だったので、
学んではいましたが、商業科出身者のクラスに入ると、
全商簿記1級なんてざらにいました。
最後尾からのスタートでした。
そこで簿記1級に1回で合格して、税理士受験。
その間、しばらく教育学から離れましたが、
2年目の合格発表の翌日に、
「うちの学校で教えないか」との誘いを受け、
二つ返事で受けてから、再度教育学を学んでいます。
教育課程と教育評価を中心に学んで、
なんとか現場の授業に活かせないかと試行錯誤しました。
「習うより慣れろ」が主流の簿記教育の中で、
「理解が大切」という私の学習方法を取り入れ、
大胆に教材の順番を入れ替えて教えてました。

3.書籍を作る

一通りの授業案ができたときに、
専門学校の一般課程(資格対策の授業)の担当を外され、
受験校に転職しています。
転職後すぐに上司から
「市販の書籍を作ろうとなったんだけど」と、
立案から原稿まで任せられました。
半年して完成したのが
「日商簿記3級完全理解」(大栄出版 1990)
ここには、今まで私が苦労してきた、
「なんでここでこれを教えるの?」という部分を解消し、
教育課程学に基づいて、
教育方法としては「発見的学習」(B.S.ブルーナー)を参考に、
原稿を書いていこうと思っていたのですが、
「会計史入門」(小島男佐夫著 森山書店)という書籍に出逢います。
発見的学習を簿記教育に適用するには最適だと思い、
読みふけり、土台ができました。
簿記の導入部だけで50ページでした。

4.認知心理学

その後、認知心理学にも興味が出てきました。
当時は学習心理学の一分野で「情報処理アプローチ」と言われてました。
そうか、認知の過程は、こういうことだったのか。
その成果は実際の講義に役立てています。
既存の知識と、今学習した知識を結びつけることで、
長期記憶を促し、「忘れない」教育ができています。
そもそも「忘れる」というのは、
長期記憶に入っていない(最初から覚えてない)か。
長期記憶から想い出せない(長期記憶がバラバラに点在状態)です。
それを回避することができ、
受講生の質問のレベル・内容を考慮して
研修効果を最大限にするために、
教材の順番を入れ替えることも大胆に躊躇無くします。

研修の依頼は
「与太郎式指南術」(YES)へ、
ぜひお申し付けください。
contact《@》yes.saitama.jp
※メール送信時に《》を外してください。

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