アクティブラーニングの起源

前稿「アクティブラーニング」では、
中教審答申の変遷を追いながら、
アクティブラーニングが単なる「自習」ではなく、
教師がコーディネートして、自発的学習を組み立てる。
その「根」は教師が育てる必要があると書きました。
本稿では、その起源を追っていきたいと思います。

1.はじめに

私が教育学と出逢ったのは1978年です。
その時は、高校受験後で、内申書に疑問を持ち、
『内申書』(全国進路指導研究会編集 民衆社)を読んでいます。
その後に遠山啓の著書『競争原理を超えて』を読み、
そこから教育学にハマっていきました。
教育学の大家のいる和光大学か宮城教育大学に入りたかったのですが、
不合格になって一浪して、簿記の専門学校に入ります。
浪人中に和光大学の聴講生となり、梅原利夫氏に指導を受けています。
その後、教育課程学、教育評価を中心に独学しました。
教育学部生ほど体系的に学んだわけではありませんが、
教職教養と言われるものはマスターできました。
1988年に税理士試験を受験せずに教材作成と教育学に没頭し、
教員免許認定試験(計算実務)の一次試験に合格、
二次試験で出題された珠算の指導法なんて知りませんでしたから、
二次試験は落ちましたが、一次試験は教員採用試験と同レベルでした。
教育史などももちろん試験範囲で、学んでいます。

2.デューイの経験主義教育

アクティブラーニングというと、デューイにまで遡れると思います。
デューイの『学校と社会』(1899)とか『経験と教育』(1938)です。
日本でデューイ研究をしていた高浦勝義氏と知り合う機会を得て、
指導を受けたことがあります(1986年)。
高浦氏は当時始まっていた小学校の「生活科」について、
「理科と社会を合科したというより、未分化カリキュラムだ」
と表し、デューイの課題解決学習との関連で捉えていました。
例えば「私たちの街」という課題で、街を探索しながら、
疑問に感じたことを調べながら解決していくという教育です。

3.梅根悟のコアカリキュラム

梅根悟は社会科をコアカリキュラムと位置づけ、
生活単元学習を提唱します。
それは戦後の1947年学習指導要領に組み込まれます。
梅根氏は遠山啓氏の開発した「水道方式」を批判しますが、
水道方式は、基本的な部分から高度な分野まで
自然に到達できるように組まれた教育課程で、
逆に遠山氏は生活単元学習を、
「生活の中で得られるものだけではない」と批判します。
(梅根=遠山論争)
ほかにも、
「問題解決のための基礎的な能力として重要な働きをする
論理的な思考力や計算処理などの能力の育成がおろそかになる。」
との批判も出てきます。
実際に1951年の日本教育学会の調査、
1952年および53年に日教組が行った調査、
国立教育研究会が行った調査のすべてにおいて、
算数・数学の基礎学力の低下を示す結果が出てきて、
数学教育の「系統性」が重視されるようになります。

この「生活単元学習批判」は、私が前稿で書いた
「講師が根を養わなければならない」
という思想と軌を一にします。

4.水道方式と仮設実験授業

遠山啓が開発した算数の指導方法「水道方式」(1958)と、
板倉聖宣が開発した理科の指導方法「仮設実験授業」(1963)は、
アクティブラーニングに至るまでの基礎教育の重要性を示唆しています。
水道方式は数学教育協議会に参加する教師達によって研究され、
算数だけではなく、中学や高校の数学の教育方法としても提示されます。
仮設実験授業は、題材について仮説を立て、
仮説に対して議論をして、最終的に実験で確かめるという方法で、
例えば磁石に関して「1万円札は磁石にくっつくか」という議題で、
付く、付かないの双方で議論をして、最終的に実験します。
水道方式の関数の授業は3年B組金八先生(1980)で取り上げられ、
仮説実験授業の1万円札は東中学3年5組(1984)で取り上げられています。
このような授業を経て興味を持てば、自分で調べるようになるのです。

5.指導の個別化と学習の個性化

個別化教育は、加藤幸次氏が提唱したものです。
加藤氏は「教材」とは言わずに「学習材」という言葉を使います。
1984年に全国個別化教育研究連盟を発足し、
現在は日本個性化教育学会になっています。
児童生徒が興味を持つ学習材を使って、
個別に学習をしていくというスタイルを確立します。
加藤氏と高浦氏は1986年は国立教育研究所で研究をしていて、
幸いなことに加藤氏と高浦氏の二人から指導を受ける機会を得ました。
その後私も全国個別化教育研究連盟に加入しています。

6.現在のアクティブラーニング

現在の学習指導要領が定義するアクティブラーニングは、
「いかに社会が変化しようと,自分で課題を見つけ,自ら学び,自ら考え,主体的に判断し,行動し,よりよく問題を解決する資質や能力」
というものですから、
生活単元学習やデューイの時代に戻ってきたようです。
但し、やはり基礎・基本に関する部分は、
教師が設計する教育課程の中で位置づけられなければなりません。
そこを疎かにすると、科学的な物の考え方が身につかず、
生活単元学習と同様に学力の低下を招くことになるでしょう。

7.おわりに

私自身が教育に関心を持つようになったのは、
自分自身の経験(都立高校に落ちた=内申が足りなかった)です。
そこから、折に触れて、時々の興味・関心と一致する教育学者や、
教育実践家と出会ってきたのは、嬉しいことです。
小学校6年の時に「教える喜び」を感じて、
高校3年の時には「質問内容で、躓いている箇所を見つける」という、
自分で言うのもおこがましいですが、教師としての資質に気づき、
1985年以降、講師という職に就いているというのは、
幸いにも天職に就けたと思っています。



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