見出し画像

クリスチャンは究極のミニマリスト

猫は荷物を持ち歩いていないし常に裸なので、万が一大地震や災害や戦争が起きても身軽に逃げ回ることができます。さすがに人間が裸で歩いたら逮捕されてしまいますが、猫のように何が起きても身軽にしなやかにかわして生きていきたいと多くの人が思うのではないでしょうか。

クリスチャンの生き方とは究極に言うとイエスのお父さまこと創造主・エロヒームと神の国を第一にして、それ以外のことは神にお委ねするという生き方です。クリスチャンはイエスが自分のために犠牲になってくれたから必要なものはイエスが全て与えてくれると信じています。そのためクリスチャンは究極のミニマリストと言うことができます。

イエスの教えは衣食住は神が用意してくれるからそれについていちいち悩むのではなく、神と神の国を求めて生きるということです。そうは言ってもすぐに衣食住について考えるのをやめる、というわけにはいかないですよね。

人間の力では制御したり決めることができないことはたくさんあります。いつ死ぬかというのはあなたではなく本当の神、エロヒームが決めることです。エロヒームが人間をお造りになったからです。自分の誕生日や出生地を自ら選んだ人は一人もいません。今あなたが生きているということは、エロヒームがあなたを生かしているということです。

ここでお伝えしなければならないのは、エロヒームは大変厳しいお方ということです。いくら神道などの「神々」やブッダにお賽銭や献金をしても、エロヒームやイエスの教えに従わなければ人は永遠の命を得ることはできません。

他の宗教を信じている方々を責めたり批判しているのでは全くなく、本当のことをお伝えしている次第です。ブッダは人間で本当の神ではなく、「神々」は人間の想像の産物に過ぎないので、これらの存在はあなたを救うことは永遠にできません。

しかしエロヒームは厳しいだけのお方ではなく、それどころかエロヒームがお造りになられた人間を心から慈しまれておられます。だからこそエロヒームの大切な子ども、イエスを地上に送り、全ての人の暗闇を処分するためにイエスを十字架にかけられました。ここでいう暗闇とは、聖書では「罪」と表現されています。聖書が言う罪とは犯罪というよりも神から離れた性質というほうがわかりやすいです。

どんなに優れた人格者であっても、自分の力でこの「罪」を取り除くことは絶対にできないし、それはその人の人格や素質や能力に関係ないです。アダムとエヴァがエロヒームに逆らったために人間は「罪」を持つ仕様になったからです。そしてその「罪」があるから人は死ぬ仕様になりました。

じゃあどうしたらいいのかというと、イエスに従って生きるという解決策がエロヒームによって用意されています。人間は自力で「罪」から自分を解放することはできないけれど、イエスの力を借りれば「罪」を取り除くことができます。

「罪」がないイエスが予め全ての人の「罪」を一括処分してくれました。そのことを信じるか信じないか、受け取るか受け取らないかはあなた次第です。

あなたのために命を捨てて蘇ってくれたイエスを信じてイエスと共に生きると決めたとき、究極なミニマリストとしてのクリスチャンの生き方が始まります。あなたにとっての最大の問題である「罪」をイエスが解決し、エロヒームと神の国を求めれば必要な物は全て与えられるとイエスが約束してくれているからです。

最後まで読んでいただきありがとうございます。シャローム!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?