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「赦し再会する」ために親兄弟たちを捨てたキリスト者の話

どうしても変わりたい、もっと強くなりたい、と思うことは誰にでもあると思います。今日はアドナーイ(イエス・キリストの父、旧約聖書と新約聖書の神)によって変わることができた体験をお話します。

りこうさぎもそのうちの一人でした。機能不全の家庭に育ち、理由もなく毎日暴力を振られ監視され、ざっくり言うとあらゆる虐待を受けてきました。父からの虐待は暴力だけでしたが、説明しても信じてもらえないような虐待を父以外の家族からくらいました。

子どもらしい子ども時代を過ごすことなく、道化にならないと正気を保つことができず、心から笑うことができませんでした。誰かに甘えることがないまま大人になり、働き始めました。

おそらく育ちで人を判断するような人たちに家庭環境のことを根掘り葉掘り聞かれたとき、「そんな家だったら逃げればよかったじゃん。なんで逃げなかったの?」などと浅はかな戯言をはかれたり、鼻で笑われることもありました。

子どもの頃は居場所も逃げる場所も隠れる場所もありませんでした。りこうさぎの子ども時代は虐待に対して今より圧倒的に理解が浅い時代で、理不尽な暴力も「しつけ」の一言で片付けられるのが関の山でした。

そんな状況の中でりこうさぎは自傷することもなく、非行や犯罪をすることも全くないまま無事に家から脱出することができました。

言い方が悪いように聞こえたら申し訳ないですが、同じような悲惨な虐待から PTSD になり、人によっては生活保護を受けて生活している人もいます。

りこうさぎは家を出て一人暮らしを始めた当初はお金がなくて大変でしたが、生活保護を受けることも借金をすることもなく、ときどき病院に通いながらも自立して仕事を続けることができています。

イエスキリストことヨシュアと、ヨシュアの父、この世界を造った神のアドナーイが助けてくれたからとしか言えないし、考えられません。

りこうさぎがずっと願っていたこと、それは家族を赦すことでした。
りこうさぎが自立した後、心のどこかで「家族だから繋がりたい」と思っていました。自分なりに努力して、家族の誕生日をお祝いしたりしてみました。それでも、親きょうだい親戚は皆んな永遠にりこうさぎを嘲笑い、侮辱し、蔑むだけでした。

そんな家族を赦すことなんかそもそも人間業では不可能です。家族から距離を置けばそのことに関して暴言を吐かれ、りこうさぎを侮辱する留守電や嫌がらせの連絡をよこしてくるので家族との連絡を断ちました。

今のりこうさぎにとっての「家族」とは、イエスを信じイエスと共に生きている兄弟姉妹のことです。親兄弟親戚などただ「血が繋がっている」だけの人たちは、りこうさぎの家族ではありません。

「酷い親兄弟親戚だけど赦したい、変わりたい、怒りから解放されたい」と思い、その人たちを赦すことを決断しました。

一生親兄弟親戚を赦すことなんかできないと思っていました。それでも日々の生活を大切に過ごし、自分自身に出会うために色々な場所へ旅をしました。自力では絶対不可能なので毎日「親兄弟親戚を赦すことができるように、りこうさぎの心を変えてください」とお祈りしました。

奇跡がついに訪れたのです。
ある日突然、「パパ」として一緒に暮らしてきた人のことを思い出しました。するとあれだけ憎んでいた相手なのに、涙が止まらなくなりました。

「『パパ』も虐待を受けて育ったのかもしれない。辛い気持ちを押し殺して、自分を殺して精一杯子どもを育てようとしてきたのかもしれない」
「おじいちゃん」のことを思い出すと、「パパ」がおそらく虐待を受けて育った可能性は大いにあると思いました。

「おじいちゃん」は二十歳のときにシベリア抑留の犠牲になり、極寒の地で強制労働をさせられました。「おじいちゃん」の青春時代は地獄のような環境に奪われました。日本に帰国した後も「シベリア帰り」として差別を受け、社会復帰に苦労したと思われます。

「完璧な人なんていない。『パパ』も『ママ』も『おじいちゃん』も『おばあちゃん』もたくさん傷付いてきて、感情を抑えることができなくて、どうしていいかわからなくてもがいて苦しんできたのかもしれない」

その憎しみや苦しみの連鎖は、二千年以上前にイエスことヨシュアが十字架で解決してくれました。

イエスが全身血だらけになり、顔が変形するほど傷付いてくれたおかげで、人は癒されました。それは時空を超えた癒しであり、奇跡です。

だからりこうさぎも癒されています。

エルサレムの嘆きの壁の前で、親兄弟親戚を赦すことができるように必死に祈りました。
その祈りはアドナーイに聞かれ、アドナーイはりこうさぎの心を変えてくれました。

いつかまた、「パパ」や「ママ」、それから「血の繋がった兄弟や親戚」に会いたいと思います。

過去に起きたことはなかったことにはできないけれど、りこうさぎはヨシュアによって既に癒されています。

二千年以上前に理不尽な暴力を受け、侮辱され、何の罪もないまま十字架に磔にされ、全身血まみれで一人ぼっちで死んだ後、蘇ってくれたイエスがりこうさぎのあるじであり生きる目的です

りこうさぎは親兄弟や親戚を捨てました。
「いつかまた、違う関係で出会う」ために。

りこうさぎはシスターとして、残りの人生は全てイエスとその父アドナーイに委ね、捧げています。

イエスとアドナーイの偉大さ、素晴らしさ、優しさ、暖かさをこれからも伝えていきたいと思います。

最後まで読んでくださりありがとうございます。
変わりたい、誰かを赦したいと思う人がもしいたとしたら、それがあなただったら、あなたのために祈ります。

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