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グラント・ハイツ跡地をゆく(東京)

練馬区にある「光が丘公園」は、都内有数の敷地面積を誇る自然公園で、広さは60万平方メートルある。よくわからない? じゃあ東京ドーム約13個分、ってもっとわからないか😄 あのカウント方法、みんなピンときてんのかね。

ここにはかつてアメリカ駐留軍の家族用宿舎があり、グラント将軍の名前をとってグラント・ハイツと呼ばれていたのはよく知られているところ。

しかし、それよりさらに前、まだ戦時中のこと。この場所には成増陸軍飛行場という日本陸軍の飛行場があった。都内でも数少ないこの軍用飛行場は震天制空隊の訓練基地。震天制空隊というのは、特攻隊のひとつ。といっても、海上の戦艦に突入するのではなく、飛行中のB-29に体当たりして撃墜するのが役目。空中衝突なので、パイロットはパラシュートで脱出すれば生還できる可能性がある、というのが理屈だが、実際は……。

当初は沖縄戦に向けた訓練基地として突貫工事で開設されたが、戦況の悪化とともにこの地でも特攻隊が編成され、若い隊員が飛び立っていった。

ということで、今回はまじめな話です。



3連休の最終日。まず日差しが異常。外出前に日焼け止めを塗りたくってはきたものの、この紫外線の強さはおそらく想定値をかるく上回っているんじゃないでしょうか(個人の感想です)。


駅のおもてに出るのが嫌になるほどの気温😵 まだ梅雨あけていないんだよね?


そうもいっていられないんで、勇気を出して(日陰の下を探しつつ)歩いていく。地下鉄の駅を出て光が丘公園方面に向かうとイチョウ並木の通りがある。


音量注意!


一見すると、この並木通りが飛行場の滑走路跡のようにも思えるけれど、実際の滑走路はもう少し西寄りにあったらしい。でもイメージとしてはこんな感じだな。


突き当りまで来ると視界が開けてきた。空はもう完全に夏のそれ。


とにかく敷地が広く、バードサンクチュアリには大鷹も生息しているらしい。


飛行場利用からの接収、返還、そして公園造成までの流れ。ふむふむ🤔


道脇には祈念碑も。


😔・・・


子どもがふつうに成長できる環境は、当たり前のことじゃないのかもしれない


公園内を歩いていると、屋敷森跡地というところへたどり着いた


脇には英文字の看板がたっています……が、もはや何が書いてあるのか不明😅


貴重な植物が自然のまま生育しているってことだな。扉を開けて中に入ってみる。


中はうっそうとしていて、南国っぽい植物や、見たことない草花がたくさん自生している。


途中で井戸を発見。静寂のなかで佇む汲み上げ式ポンプが緑に映える。


動かしてみようとしたが、びくともしない。


SUN TIGER PUMPは廃業し、現在ではもう作られていないとか。


おかもとポンプ(販売会社)


屋敷森跡地を抜け、さらに先を目指す


トマソン的ななにか発見、と思ったら、上方にある非常栓の操作用階段だった


巨大な給水塔だろうか。ちょっと水浴びさせてほしいわ😛


光ヶ丘団地の中をぬけていく。この団地群がまた異常な数があり、総称して「光が丘パークタウン」と呼んでいるが、中低層から高層までいろんな形態の集合住宅が林立しておりちょっと立ち眩みする。




落下防止フェンスが地面に影を落とし、独特な模様を描いている


もうお昼の時間


林の中の一区画に到着



ここにかつての進駐軍用の駅があったらしい。史跡に指定されていたので遺構のひとつでもあればと期待していたが、それらしい面影はなかった。



跡地では植樹が進み、新しい歴史が刻まれつつある。


ふたたび団地群を抜けて先を進む。さすがに暑すぎて、ほとんど人に出会わない。


小さな児童公園にも人の気配なし。まあ、正しい選択だわ。


あちこちにマンモス団地が林立していて人口密度は相当なものだと思うんだけどね。駅に隣接しているイオンとかIMAとか、結構な数の人がいたし。


住宅街にやってきた。


この奥のほう、おわかりいただけるだろうか。


近づいてみる。これは掩体壕えんたいごう。要するに、飛行機の格納庫だ。


掩体壕を物置として使用し、そのうえに家を建築するという、かなりぶっとんだデザイン。現存する成増飛行場の遺構はこれが唯一だという。



住宅街を抜けてふたたび公園方面へ。


グランドには陽がさんさんと降り注ぎ――


野球少年たちに監督のげきが飛ぶ。


しまってこ~ィ😁


少年たちが生まれるよりも、ずっと昔。
もう何十年も前のこと。
この地にも砲弾の雨が降り、ここの滑走路から意を決して飛び立っていった少年たちがいた。そこには、いいも悪いもない。後世の人間である自分たちができることといえば、何があったかを知ること。それしかできない。

戦後、飛行場は接収され、グラント・ハイツとして整備された。この地は亜米利加となり、フェンスの向こうでは白人の子どもたちが楽しそうに遊ぶ姿を目にするようになった。
グラント・ハイツが日本へ返還されたのは、1973年のことだ。

イチョウ並木通りに戻ってきた。道は、ずっとずっと、まっすぐどこまでも伸びている。


噴水で遊んでいる子どもたちの声がひびく。これは当たり前の光景じゃないのかもしれない。


きょうは暑いわ。おれも氷たべようかな😋


清掃工場の煙突が天高くそびえている。そんなに高いところにいて、暑くないの?😄


夏はまだこれから


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