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【Zatsu】ぞくっとした想い出 2

ひきつづき、新宿近郊で勤務していたころの話。

その職場はとにかく長時間勤務が常態化していたのよ。「残業は100時間からはじまるんだ」なんて言葉がまことしやかに吹聴されていた。
渡邉○樹ですか?
でも、おれも「なるほど」ポンと膝を打って受け入れてしまうほどズレていたので、どっちもどっちだが。いまだったら、SNS炎上から労基署カチコミで釈明文書のトリプルコンボだけどね、時代とは恐ろしいもんです。

勤務先ビルは1フロア1社だったので、同じ階には自分の会社しか入っていない。うちは2Fと6Fを借りていて、おれの席は6Fにあるんだけれど、その日は繁忙期の2Fへ応援に行っていた。

2Fで席をひとつ融通してもらう。別フロアとはいえ知った顔ばかりなので気分的には6Fと変わらない。ただ、応援先の仕事に慣れておらず、またその日は昼間が恐ろしく多忙で、みんな一言もしゃべらずに、ただひたすら自分の仕事を片付けるのに精いっぱい。
各席は上図のように板で仕切られていて、お互いが視界に入らないようになっており、おかげで集中できたのはありがたかった。そのかいあって、ようやく仕事のめどが立ちはじめたころ、時計の針は夜の10時を回っていた。
「今日はこのへんにして、終わろうか」
上司の言葉を合図に、それぞれ帰り支度をはじめたんだ。

机の上を片付けてかばんを手に席を立つひとがひとり、ふたり。左に座っていた女性も「お先です~」といって小走りに部屋を出ていく。おれもパソコンを終了させてカバンに物を詰めていたんだけど、前に座っている男性はずっとタイピングを続けている。
カタカタカタ……カタカタカタ……
キリが悪いのかな、でももう帰ろうぜ。そう思いながらおれは帰り支度をしていたんだけど、いっこうにやめる気配がない。
自分の帰る準備ができたので、「お先に失礼しま~す」と周囲にあいさつして席を立ち、前の席の男性にも「大変っすね」と声をかけたんだ。そうしたらさ、

だれもいなかった。ていうか――席がなかった。

さっきまで、あんなにはっきり聞こえていたキーボードの音も、全く聞こえない。一瞬あたまが真っ白になったんだけど、みんながどんどん部屋を出ていくので、流されるようにおれも部屋を出た。そして上司が2Fを施錠。
その瞬間、思い出した。やべ、今日の6Fの施錠係はおれだ。
その場に残っていたのは全部で5~6人くらいだったかな。みんな1Fで待っていてくれるというので、おれはひとり急いで6Fへ向かった。

今日の6Fはみんなとっくに帰っているので、しんとしている。とはいえ、エアコンのスイッチやら消灯やらチェック項目がたくさんあるし、施錠する扉も複数あるしでけっこう手間がかかるのよ。みんなを待たせている自覚もあったので、なるべく手際よくやったつもりだけど、それでも時間はかかった。
ようやく施錠を終えてエレベータの▼ボタンを乱暴に連打。なんで1Fに停まっているかね。誰を待っているんだよ、こんな時間によ。悪態をつきながらようやく到着したエレベータに乗り込んで、今度は「1」つづいて「閉」ボタンを必要以上に連打。挑発的なほどゆっくりと扉が閉まる。

そのとき、あまりにも施錠に時間がかかりすぎていて、待ちきれなくなった友だちがひとり様子を見に6Fへあがってきてエレベータの前を通り過ぎていった。
あ、と思ったんだけど、すでに扉は閉まって下降を開始している。
やべ、悪いことしちゃったな。
気まずくなりながらも、でも施錠されているのを見れば入れ違いに気づくだろうと思い、そのまま1Fへ向かう。
エレベータが開くと、みんな待ってくれていた。

え?
みんな、いるんだよ。さっきの5~6人。
おれ、エレベータで降りてきているから、6Fをうろついていた奴がおれよりも早く1Fにたどり着くことはありえない。
そういえば、さっき6Fで見たとき直感的に「友だち」だと思ったんだけど、思い返してみると警備員みたいな服を着ていた(でも、警備員は18時で帰ってしまうのでありえない)。
「じゃ、帰るか」
上司を先頭にみんな裏口へむかって歩き出した。おれは2Fのタイピングの件も気になっていたので、仲の良いひとりに「あのさ、さっき2Fのおれの席……」といい終わらないうちに「キーボードだろ?」と言われた。「まぁ気にすんな。みんな聞こえているから

なんか釈然としないまま、帰り道でぜんぜん関係ない話題で盛り上がったこともあり、この件はうやむやになってしまった。
でも、2Fでタイピングをしていた存在ってさ、無意識のうちに「男」だと確信していたんだよね。6Fにあがってきたのも「友だち」だと思った。刷り込まれたものを自然と受け入れていたカンジ。
タイピング男は周知の事実らしいから、なにかいるんでしょう。警備員は正直よくわからずじまい。
いずれも実害をこうむったわけじゃないので、いまでも続いているのかなとおもうと、すこし切なくなる。そんな体験でした。


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