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【短編伝承回顧録】傀儡師

 これは私のおばあちゃんから聞いた話なんですが。

 私のおばあちゃんというのは高知県の田舎のほうに住んでいましてね、今でこそ大きなビルも建っていますが、若い時分は村人みんなが農民で、自給自足の生活を送っていたんです。その中にただひとり、伝統的な日本人形を作っている人形師さんがいました。人形制作から作品演出までひとりでこなす、かなりお歳を召したパワフルなおばあさんなんですが、この人の作る人形が少し変わっていて、とにかくリアルなんですよ。で、あちこちの関節が動くんです。

 普通、ここいらの日本人形ってのは首は別として胴体はひとつの木から削り出していくもんなのに、この人のは寄木というか、完全に操り人形なんですね。まあ、舞台用だからそうなんですが。いろいろなポーズがとれて珍しいので、地元の新聞にも載ったほどでした。ただ、この人が面白いのは、自分の作品を決して売りに出さなかったんだそうですよ。写真などは撮らせてくれるんですが、絶対に売らない。まあ、他にもそういう人はいますけれどね。相当な資産家だったらしいので、生活には困らなかったようですが。

 もうひとり、おばあちゃんの幼なじみに、幸江さんという方がいます。当時はまだ年端も行かぬ少女でした。幸江さんは幼くして母親を亡くし、父親ひとりに育てられていました。でも、父親はろくに仕事もせず、亡き妻のご両親から送られてくる援助金や援助物資を頼りに日中から酒浸りの生活をしていたそうです。
 もっとも、そんなに豊かな時代じゃありませんから、物資を送るほうも大変な苦労だったでしょう。幸江さんは、父親からは怒鳴り散らされ、母方の両親からは「あんたは早く嫁に行ったほうがいい。そのためにはちゃんとしたお嬢さんにならんといけんよ」と圧力にも近い教えを受け、徐々にノイローゼ気味になっていったそうですわ。

 彼女は毎朝女学校へ行く途中で、その人形師さんのお屋敷の前を通るんです。人形師さんはとても古風でおとなしく、お香がほのかに香るような方だったそうですよ。女生徒たちの憧れの的でしたね。もちろん幸江さんの目にも人形師さんはとても魅力的に映っていました。
 当時の幸江さんといえば、祖母の過度な期待と、それに応えなければという強烈なプレッシャーとで心と体のバランスを崩し、若干びっこを引きながら歩くような状態でした。お屋敷の前を通る毎にこう漏らしていたそうです。「私もあんなふうになりたい」
 そのうち幸江さんは学校を休みがちになりました。初めのうちは週に2日休んでいたのが、3日になり、4日になり、しまいにはほとんど学校に来なくなってしまったのです。

 昭和16年12月8日、周囲がにわかにあわただしくなり、日常生活の中でも常に生と死が目の端をうろつくようになりました。やがて、学徒動員、女学生の工場労働など、授業どころではなくなりましたが、しかし、それでも幸江さんは姿を見せませんでした。警察がとうとう行方不明者として捜索を始めたのは、それからさらに2週間後のことです。

 そんなある日、ひとつの事件が起こりました。人形師さんの家が放火されたのです。温和で敵を作るタイプではなかったのですが、貧しい農村のなかで唯一文化的で豊かな生活を送っていたことをねたまれたのかもしれません。村人が駆けつけたときにはもう時すでに遅し、火の勢いが強く、手のほどこしようがありませんでした。
 せめて仕事場にある作品だけでも持ち出せないかと、男が数人、水をかぶって重い扉を押し開け、炎の渦巻く仕事場へと入っていきました。すると広い仕事場のいちばん奥に、真新しい人形があでやかな着物を着てつり下げてあります。
「おい、せめてあれだけでも——」
 男たちは炎をかいくぐり人形の下へと向かいました。でも……そうじゃなかった。人形だと思っていたもの、それは行方不明だった幸江さんの変わり果てた姿だったんです。今までは必死で気にもしなかったのですが、男たちはあたりの腐肉の焦げる悪臭に吐き気を覚えました。一目散に逃げ帰った彼らを村人たちは何があったんだと問い詰めます。

 男の話によると、天井からつるしたロープで幸江さんは首を吊っていたそうです。きれいな着物こそ着ていたものの四肢がすべてあらぬ方向にねじれ、下の炎であぶられた上昇気流によってユラユラ揺れていたため、最初は人形に見えたということでした。その説明を聞いておばあちゃんはハッとしたそうです。以前からよく聞いていた「私もあんなふうになりたい」、あれは人形師のように穏やかな生活を送りたいということじゃない、ああいう傀儡になりたいという意味だったんだ。すべての節が自由に動くあの傀儡に……。おそらくあの時点で彼女の精神はそうとう参っていたのでしょう。

 結局、放火の犯人は見つからないまま、戦時下ということもあって事件はうやむやになってしまったそうです。でも、私が思うに、放火犯はじつは幸江さん自身じゃないかと思うんですよ。悩んだ末にみずから炎に操られる妖艶な美しさを見てほしかったのではないか、とかね。

 もういいでしょう。こんな昔の話、今回の捜査には何の役にも立たないと思いますけど。はい? ああ、ニュースで見ましたよ。女の子がひとり行方不明だそうで。まったく物騒な話です。え? 人形師さんですか? さあ、焼け跡から死体が発見されたって話は聞いていないですが。でも当時でさえ相当なお歳でしたからね、あれからさらに80年、さすがにもう、ねえ。

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