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三島由紀夫「天人五衰」

ノーベル賞の週だ。


LTCMの破綻は、

背景や心理などのブレを考察せず

にブラック-ショールズの式(とノーベル経済学賞という権威)を盲信し続けたと結果ではないかと、私は思う。



よく、十分な知識がある人生のプレイヤーたちが、

雑音の無い式に基づきまくった構想や

隙間の無いコンクリート壁の建築を信用しているが、

現実は、雑音を適宜勘案し軌道修正することの大切さや、

隙間のある城の石垣が長らく崩れていないことの素晴らしさにも目をむけるべきだろう。

思うより人は理性的ではない。

溺れる者は、わらをもつかむのである。→


だから、

というと、

強引だが、むしろノイズだらけだが小説という面からも、

本質は眺められるのではないだろうか。

過剰なノイズがあったとしても、自分自身に引き寄せたりすることもいいなあ、と私は思っている。


今回は、豊饒の海・第一巻「春の雪」四十五、「春の雪」(新潮文庫)398~405頁のうち特に402~404頁の部分を考察してみたい。

旅先で聡子が剃髪したが、綾倉伯爵の気質により、

その事実を松枝侯爵に早急に報告しなかった事実をまでもが明るみに出、

納采までの策を話し合おうとしている場面である。

納采まで髪を鬘で代用する案を綾倉伯爵夫人が出す、

と、

「鬘か。それは気付かなかった」

と松枝侯爵は喜び、すかさず松枝侯爵夫人が追随し、

4人はこの

「虚偽を取り囲んで仲良しになっ」

たし、

「この場に一等必要であったものは、こんな形のある虚偽」

だと知るのである。

誰も本心から鬘が解決策などとは思わないが、

「侯爵のほうは、威風を以て信じているふりをすることができ」

たことを受けて、

「伯爵もいそいでその威風に倣っ」

たという表現も読者の裡で映像化や

同一視などをすることにさほど無理はないように思う。

しかし経済理論や、それに用いられる数式や前提で、

これら解るが複雑な心理を描くことは難しいように私は思う。

石垣の隙間が倒壊を防ぐように、

完璧と「いわれる」理論が他分野の面からの雑音を少しでもききながら崩壊を防ぐことは出来ないのかな、と考える。


402~403頁のみになってしまった。403~404頁に繋がるようにしたつもりには、無理があるような気がしてきたので、そこはまた改めて。

ここまで読んでくださりありがとうございます。

では、また、次回。

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