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アントニオ猪木は俺だ、俺がアントニオ猪木だ、の世代

私が夢中になってプロレスを見ていたのは、小中学生の頃である。
猪木はただの憧れではなかった。私の友達はみんな、「アントニオ猪木は俺だ。俺がアントニオ猪木だ」と思っていた。猪木は人生の指針だったのだ。
プロレス評論家「さわやか恋人1年生、キジフゲルーシ」の「アントニオ猪木は義務教育だった」は至言。私の人生の基礎はアントニオ猪木でできている。

高校に入った頃からプロレスは見なくなった。自分の戦いが忙しくなって、それどころではなくなったのだ。しかし、プロレスから離れても、猪木イズムは私の中で脈打っていた。

プロレスと再会したのは1999年、小川と橋本の抗争が始まった時である。「猪木がすごいことを始めたぞ」と言う友人から、1.4東京ドームのビデオを借りた。
橋本も小川も猪木の弟子。猪木は弟子と弟子の死闘を演出していた。
弟子同士の死闘は過去にもあった。藤波対長州だ。
プロレス対柔道も過去にあった。木村対力道山、ルスカ対猪木。
団体対抗戦も過去にあった。新日本対国際、新日本対UWF。
どれもこれも歴史的な名勝負と言われているが、小川と橋本の抗争にはその全てが詰まっていた。
まさにハイブリッド戦である。そして、この試みは、どこか一線を超えていた。超限戦である。
リングで戦っているのは橋本と小川だ。が、どこからどう見ても、これは猪木のプロレスだった。

つい先日、また猪木の偉大さを知った。朝倉未来対メイウェザーだ。朝倉は現役を引退したメイウェザーに2ラウンドで負けた。那須川天心は1ラウンドももたなかった。
しかし、猪木は現代の世界チャンピオン、最も偉大なチャンピオンのモハメド・アリと15ラウンド戦い抜いたのだ。
猪木のこの凄さは計り知れない。

同志書記長、アントニオ猪木と、師と仰いだ人が次々と去っていく。悲しいことである。

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