主の降誕ミサ「シェガレ神父の説教」
主の降誕(日中)ヨハネ1,1−18
2023 渋川
年末になると私たちは仕事や買い物で忙しく、クリスマスの喜びをゆっくり味わうことが難しいかもしれないが、今朝私たちは落ち着いて日中のミサを捧げています。昨夜のイヴはルカ福音書によるイエスの降誕の物語を聞きました。馬小屋は赤ん坊を暖かく見守るマリアとヨセフの愛情に満たされていて、救い主の誕生を知らされた羊飼いの喜びがいっぱいになって、天使によって善意がある人々の平和が告げられました。
今朝私たちはヨハネの福音を通してこの物語の深い意味を考え、聖ヨハネ福音の三つのキーワード、言葉、命、光の意味を味わいながら、イエスの誕生の神秘をしばらく黙想したいと思います。
「はじめに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。万物は言葉によって成った」と書いてあります。聖書の「言葉」、「こと」と同様、神のわざも意味します。始めに神の言葉によって天と地が分けられ、無限の宇宙が広がり、いのちの誕生があり、神の似姿としての人間が創造されました。その後人間は文化を築き上げ、パンだけではなく、神の言葉によって生きるものとなりました。言葉のお陰で人間は神の愛を知り、掟に従い、神の呼びかけに答えられました。今はマスコミの騒音と情報の氾濫の中に言葉は危機に直面していると、警告する哲学者がいるが、私たちはどれほど言葉を大事にし、神の言葉を受け入れて実践するかを反省したいと思います。
「言葉のうちにいのちがあった。」今の時代、言葉だけでなくいのちの危機だと多くの人の声が浮かび上がっています。二酸化炭素による温暖化、公害、森林の伐採、多様性の喪失など、このままにしておくと、私たちの共通の宝である地球は人類を養うことはできなくなるかもしれないと警告しています。この時代にこそいのちを守る人類共通の知恵は必要です。この知恵はクリスマスの馬小屋の中から学んでいきたいと思います。質素な馬小屋の中からいのちを大切にする夫婦のいたわり合いと配慮、人と動物の共生、思いやりと平和、真の愛が伝わっています。
最後に「光」。「いのちは人間を照らす光であった」とヨハネが言い続けます。私たちの時代はいろんな意味で心の闇、社会の闇、戦争の闇の時代です。この闇の中でクリスマスの馬小屋に輝く星の光は私たちの家、職場、学校、また私たちの教会を照らし、私たちを永遠の救いに導いてくれます。信仰と愛を中心とした生き方によって私たち自身はこの世の光となり、世界混迷の状況の中でクリスマスのメッセージを周りの人に伝えれば、多くの人にとってクリスマスは希望のしるしとなれると思います。