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“復興支援美容室”と呼ばれなくなった日~東日本大震災から始まった「美容室ラポールヘア」の10年~

 2011年10月、宮城県石巻市にオープンした「美容室ラポールヘア」は、早瀬 渉代表が、東日本大震災の後、導かれるように縁もゆかりもない被災地を訪れ、創業したのが始まり。

 現在直営店9店舗・FC15店舗、140人が働くサロングループに成長。震災からちょうど10年の節目を目前に、同代表はその足跡を振り返りながら、コロナ禍の影響も含めて自身の想いをメッセージとして発信した。

東日本大震災から10年をむかえて
これからの10年も本業を通じて社会課題解決していく

(株)ラポールヘア・グループ
代表取締役 早瀬 渉

 2021年3月11日で東日本大震災から丸10年となります。
 この災害によって被害にあわれた2万人以上の人々を悼み,改めて深い哀悼の意を表します。

 株式会社ラポールヘア・グループは、代表である私が東日本大震災の被災地に向かい、2011年7月に最大被災地となった宮城県石巻市で創業した会社です。
 会社を創業してから丸10年をむかえる今年、これまでの10年の歩みを振り返りながら、これからの10年に向けての決意を残しておきたいという想いで、本メッセージを発信します。

 私が最初に被災地を訪れたのは、2011年5月のことです。
 3月11日の震災当時は、東京で美容室を運営する上場企業の役員であった私が、4月末に会社を退職し、東日本大震災の被災地域に向かおうと思ったのは、直感的に「この震災が、これからの世界が変わる大きな揺らぎの一つなのではないか」と感じたからです。

 長く美容業界に関わっている中で、「働き方」における課題や限界を感じていた時に起きた東日本大震災は、被災地域における創業を決意させただけではなく、美容業界の課題に取り組む決意をさせました。

 5月に被災地を訪れた後、仮設住宅をつくるボランティア活動や様々なお手伝いをさせて頂きながら、地域の人々が悲しみに耐えながら、励まし合い、助け合って生活を立て直そうとする姿に触れ、深い感銘を覚えました。最大被災地である石巻市に一号店をつくろう、ここに本社登記をしようと、その時に決めました。

 小賢は山陰に遁し、大賢は市井に遁す

 この地域の出身でもない、知り合いもいない、伝手もない。何もないなかでの、更に被災した地域での創業は、様々な課題があることは十分わかっていました。しかし震災の衝撃は、論理的には説明がつかないですが、自分の心が震える出来事でした。人生100年時代と言えども一瞬。いつ終わりがやってくるか分からない、かけがえのない命、何にその命を使うか、実際に被災地域を訪れ、そこで過ごす中で使命感が高まりました。

 24歳で一社目の創業をして、全国に事業展開する規模に成長させ、32歳から上場企業での仕事を通じて更に事業家としての経験を積んできた私にとっては、35歳でゼロから創業したのが株式会社ラポールヘア・グループでした。

 当時石巻に住む場所が見つからず、毎朝6時すぎには仙台の仮住まいを出て石巻に通っていたことを今でも鮮明に覚えています。ようやく見つけて借りる承諾を得た物件で一号店をオープンさせることを決め、石巻市役所の仮設の一角を借りて、一号店である石巻大街道店のスタッフの面接をしました。

 そうして開店した石巻大街道店の2011年10月1日開店日、朝からお客様が列をつくって待っていてくださった光景、あまりに多くの皆様が待って下さっていたので、予定より少し早くお店を開けたこと、開店を待っている時間に「生きてたのね! 逢えてよかった」と声を掛け合う言葉があちこちから聞こえてきたことは、忘れられません。

 私たちは当初「復興支援美容室」と呼ばれていましたが、2013年ころから自らのことを復興支援美容室と呼んだことはありません。スタッフから、「もう復興と言われたくない」と言われるようになったことが大きな理由です。

 私自身も、創業の地は石巻でしたが、もともと描いていたのは美容室業界における課題であり、日本における女性の雇用に関わる課題でしたので、今からこそ全国に株式会社ラポールヘア・グループを展開していくタイミングだと思いました。

 現在、フランチャイズも含めると北は青森県から南は福岡県まで弊社の事業は拡がっています。私たちの事業が拡がっている背景には、女性の雇用に関わる構造的で根深い課題が日本全国に存在していることに加えて、幅広い年齢層の方が気軽に足を運んでもらえる地域密着な美容室がなかったということがあります。

 美容室ラポールヘアは、結婚・出産・育児・介護など多くの女性が直面する人生の転換期にも、仕事を辞めずに働き続けてもらえる環境を作り続けています。これは、東日本大震災の被災地域だけの課題ではなく、日本が長年抱えてきた大きな課題であり、美容業界においても長年顕在化してこなかった働く人達の課題でした。私たちは、この課題に取り組んでいるからこそ、全国に同志や仲間が増えていると確信しています。

「ラポール」とは、もともと臨床心理学の言葉で「セラピストとクライアントの間に、相互を信頼し合い、安心して自由に振る舞ったり感情の交流を行える関係が成立している状態を表す語」です。

 私がこの言葉を社名につけたのは、「お客様だけでなく、共に働く仲間や取引先、株主や地域社会が、信頼関係を築き、これらステイクホルダーとの共生が、幸せにつながる」という想いからです。

 江戸時代の髪結いから始まる美容室という商いは、世の中必ず古く懐かしいものが復活してくるという螺旋的発展からしても、原点はそのまま思想として残しながら、少しずつあり方は変化させながら地域の中で必要とされています。今回の新型コロナウィルス拡大は、美容業室界にとっても苦しい時期ではありますが、ステイクホルダーとの間に「ラポール」があるからこその強さを実感しています。


 東日本大震災から10年。
 3年で8割以上が離職すると言われる美容室業界ですが、私たちの美容室では創業時から働き続けてくれているスタッフが多くいます。この10年の中で、結婚や出産をしたスタッフも沢山おり、美容室に併設するキッズルームをスタッフの子どもを始め、多くの子どもたちが利用をしてくれました。

 女性が働きやすく、働き続けられる環境をつくりだし、より多くの美容師が幸せに働いてくれること、100年先の子どもたちに明るい未来をつくっていくことが、私たちの使命だと思っています。

 東日本大震災の被災地で創業した株式会社ラポールヘア・グループは、11年目から先につながる未来に向けて、持続的な事業価値を創造し続け、美容室業界の課題に取り組むと共に、日本国内の地域課題に取り組むことに力を尽くし、私たちの使命の果たしていこうと考えています。

                        2021年2月11日

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PROFILE 早瀬 渉(はやせ・わたる)
1976年岐阜県生まれ。大学中退後ベンチャー企業に就職し、
2000年に24歳で起業。日本初のヘアメイク専門店 atelier haruka を創業。
都内および政令指定都市の駅ビル及び主要商業施設を中心に全国展開する。
同社事業譲渡後、2008年9月に、モッズ・ヘアジャパンに入社。
入社1年後役員へ昇格。グループ全店の営業統括、商品事業統括他、   重要ポストを歴任。100社以上のFC店への経営指導、M&A事業を主に行う。
東日本大震災を機に、ブランドの垣根を越えて被災地の復興、
および本業を通じて社会課題を解決する事業に挑戦するため、
2011年4月末日にモッズ・ヘア役員を退任。
2011年7月に宮城県石巻市に、株式会社ラポールヘア・グループを設立。
同年10月、石巻市にラポールヘア1号店である復興支援美容室を創業。