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ポリグロットは語学愛か?

語学系ユーチューバーの中には、複数言語、それも5か国語、10か国語、いや15か国語も話せると主張し、その「語学力」でネイティブを驚かせる、というエンターテインメントを提供している人たちがいます。

見ていると、数だけでなく、習得した年数(いや、日数)の短さも争っていて、もはやフードファイターのようです。

語学屋の僕としても、複数言語ができるのは羨ましいし、実際様々な言語を学んできました。

複数の言語を話せる能力は人生を豊かにするだろうし、YouTubeという人気取りが大切なビジネスでは注目を集めるのにうってつけだと思うのですが、

ドイツ語という一つの言語と真面目に向き合ってから、1つの言語を学ぶことさえ難しいのに、複数の言語を高いレベルで話せることが果たして本当にできるのか、疑問に思うようになりました。

この前、「語学を『断捨離する』」という記事を書きましたが、この記事はその続きです。

多言語話者、「マルチリンガル」や「ポリグロット」と言ったりしますが、本気でなろうとしたら、相当の時間を犠牲にする必要があります。それこそ、人生を言語に捧げるくらいに。

そして、それだけの多くの時間を投資したとしても、必ず言語の習熟度にばらつきが出て来るし、どれか1つの言語に絞って学んでいる人と比べたら敵わないのです。

個人的に、非母語(外国語)を使いこなせる人の最高峰の職業は通訳だと思っています(非母語で文豪になれたらもっと凄いですが)。ただ、この職業は、バイリンガルが有利です。

もちろん、バイリンガルと一言で言っても、習熟度にばらつきがあるし、バイリンガルが全員通訳レベルになれるわけではありません。

だからこそ、普通に外国語を勉強することにおいては、母語が一つしかない人(モノリンガル)でも充分戦って行けるのですが、それは「言語力の高いバイリンガル」が出て来るまでの話です。

通訳を目指すバイリンガルは、どちらの言語力も相当高い人が少なくありません。

これが、私が通訳を目指す中で何度も直面し、挫折しかかっている原因の一つです。

通訳と一言で言っても、単純に言葉ができるだけでなく、双方の文化・社会に習熟している必要があるのですが、これはなかなか至難の業です。特に独身でそこまで外向的でなければ、体験という点でどうしても劣ってしまうのです。

そして、この「言語には文化や社会的背景が備わっている」という点が、言語を本気で学びたいときに見落としがちな点だと思います。
もはや純粋な言語学習を超えてしまうからです。

そう考えると、1つの文化や社会を理解するのにも相当の時間、いや時間だけでなく経験や体験が必要なのに、

それを5言語、10言語、15言語とやるのは、一体どうすれば可能なのでしょう。

例えば、幼稚園から大学まで、ほとんどの人は人生で一度しか通いませんが、これってその言語の文化・社会背景を知るには重要な経験ですよね。
僕はドイツで教育を受けたのは大学だけで、子供もいないので他の教育制度は全く知りませんし、それぞれの学校の雰囲気や子供たちの置かれた環境も知りません。

たった2つの学校制度を学ぶのでも大変なのに、これが3つ以上になったらどうなるのか。

また、それぞれの言語は、実は母語話者が思っているよりもずっと表現力の幅が広いのですが、母語話者が使う範囲は暗黙の了解で決まっていて、その範囲を超えるものは「不自然な表現」と判断されます。

この「不自然な表現」には、「言わんとすることは分かるけど不自然」から「何が言いたいか見当もつかない」まで、広いグラデーションがあります。

幸い自分の母語の表現の範囲と、学習言語の表現の範囲が似通っている場合は、母語からの類推でも話せている感じにはなるのですが、

母語からあまりにも離れた言語の場合は不自然さがあからさまに現れます。

ポリグロットを名乗る欧米系YouTuber(どちらかと言えば北米系)で、母語に近い言語を複数話せると主張している人が多いのは、本人が認識しているか否かは分かりませんが、賢明な戦略かもしれません。しかも、北米、特にアメリカはそもそも外国語が話せる人口がそれほど多くないので、英語以外が流暢に話せるというだけで目立つポイントになるのではと思います。

不幸にも、日本語を母語とする私たちは、彼らのように言語数を稼ぐことができません。

母語と似ている言語を学ぶのと、学んだことのある言語と似ている別の言語を学ぶのとでは、土台の頑丈さに大きな違いがあります。

ポリグロットを目指す人は、その高い野心とは矛盾するようですが、高い目標を諦めることが大事ではないかと僕は思います。

悪く言えば、器用貧乏を甘んじて受け入れるということです。

僕は、本当に好きな言語をとことんまで極めることこそが語学愛だと思っています。

たくさんの言語に興味があるのは僕も同じですし、できれば色々な言語が理解出来たら良いなと思っているのですが、

言語の達人になりたいという目標と、たくさんの言語を話せるようになりたいという目標は両立しない、というのが、これまでの僕の語学学習から得たとても平凡な結論です。

僕は語学学習が進めば進むほど、欲がどんどん深くなっていく人間なので、
「まあこれくらいのレベルで話せたら良いな」と割り切ることができません。

聴き手に「これだけたくさんの言語を話せるのだから、この言語はこの程度話せるだけでも凄いな」と割り引いて評価されるのも、何だか許せません。

なので、ポリグロットは自分には向いていないのだろうな…残念だけれど…と思っています。

それにしても、誰もが一つは必ず話せるのに、ここまで多くの人を惹きつける言語の魅力、いや、魔性と言うべきでしょうか。本当に凄まじいですね。

なお、今回は「話す」ということに焦点を置いて書いてみました。読む、聞くといった受動的な語学力であれば、ポリグロットになるのはもっと難しくないかもしれません。僕がフランス語と韓国語を学んでいるのも、どちらかと言えば受動的な語学力の研鑽のためです。


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