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【試訳】独島イン・ザ・ハーグ【7】

竹島の領有権を日韓がオランダ・ハーグの国際司法裁判所(ICJ)で争うことになったら? というハ・ジファン作のフィクション小説「独島イン・ザ・ハーグ」の試し訳です。

ドハはソウルのとある病院の葬儀場で父の葬式を執り行った。

大声を上げて泣く者はいなかったが、若い女性が一人で弔問を受けていることだけでも、式場の雰囲気が重苦しくなるのには充分だった。

ウンソンは休みを取り、婿のようにドハの傍にいた。有名人の葬式のため、 弔問客が絶えることはなかった。

イ・ヒョンジュンが在日同胞として韓国と日本で活動をしていたため、日本からの弔問客も少なくなかった。

「宮崎勲(いさお)と申します。歴史小説家で、ドキュメンタリーも作っています。イ先生とは長年親しくしていただき、たくさんご支援いただきました」

「遠路はるばるお越しくださり、本当にありがとうございます」

「つい数日前に国際ペンクラブ会議でお目にかかったばかりなのに、突然お亡くなりになるなんて全く信じられません」

宮崎の言葉に、ドハは気になって尋ねた。

「父と国際ペンクラブ会議でお会いになったんですか?」

「ええ、そうです。地方局と一緒に波形銅器の起源に関するドキュメンタリーを制作中なんですが、今回の国際ペンクラブ会議でイ先生にお目にかかっていくつかアドバイスをお願いしたんですよ」

「そうだったんですね。会議中に父がどこに行ったのか、ご存知ですか?」

「いいえ、存じ上げません。会議中に突然停電が起きた後、お見えにならなくなったので、その時はただ、用事で席を外されたのだと思っていました」

「そうですか」

ドハはたちまち元気をなくした。

「お力になれず、申し訳ございません」

「とんでもありません。ここまでお越しくださっただけでもありがたいです。本当にありがとうございました」

宮崎は去り際に、ドハにいくつか依頼をした。

「もしお許しいただけるなら、ドキュメンタリーが完成した際に、エンドロールに先生のお名前をお入れしたいのですが」

「そうなさってください。父も喜ぶと思います」

宮崎はドハに名刺を渡した。

「ありがとうございます。もし日本にいらっしゃったり、私が何かお役に立てるようなことがあれば、是非連絡してください。先生から受けたご恩を、お嬢様にお返ししとうございます」

「分かりました。ありがとうございます」  

夜が更け、弔問客がまばらになってくると、ウンソンは遺影の前にうずくまっているドハのもとへ近寄り、壁にもたれて並んで座った。

「何か食べろよ。一日中何も食べてないじゃないか」

「食欲がないの」

「少しでも食べないと持ちこたえられないぞ。生きている人間は、生きなきゃいけないんだから」

「ウンソン、明日は出勤して。ここに来なくて良いからさ」

「大丈夫だ。お義父さんになる方が亡くなったのに、俺を自己中な奴にさせたいのかよ?」

「そんなつもりじゃなくて・・・」

「前もって話してくれよな、お父さんと連絡が途絶えたってこと。俺たちの関係なら、そういったことは話してくれても良いじゃないか」

「ごめん。不安で誰にも話したくなかったの。言葉にしたら、本当に何かが起きそうな気がして」

「それで、お父さんの事故の原因は?」

「ひき逃げだって」

「誰がそう言ってるんだ? 日本の警察か?」

「うん。信じられるかな?」

「俺が親日派の子孫だからってわけじゃないけどよ、日本の警察はそんな雑に仕事はしないと思うぜ」

ウンソンの唯一のコンプレックスは、一族が親日派の烙印を押されているということだった。

日本の植民地支配期に検事長を務めたウンソンの祖父は「親日人名辞典」に収録されているほどで、先頭に立って独立の闘志たちを処罰したのだ。

ウンソンの父親も検事長を務め、ウンソンも検事になったが、人々はウンソンの一族に対して、法曹界の名門というよりも不当な利益を狙った親日派一族だと皮肉った。

その度にウンソンは、自分も、自分の父も、誰かが代わりに司法試験を受けたわけではないと憤ったのだった。

「ところでなんだけど、お父さんが死に際に私にこんなメールを送ってきたの、どうしてだと思う?」

ドハは携帯電話を取り出し、ウンソンにメールを見せた。

「これ、歌の楽譜か?」

「うん、でも、本文が何もないの。楽譜の写真以外には」

「ちょっと変だな。お父さんが亡くなる前に何のメッセージもなく、楽譜の写真1枚だけ送ってくるなんて。『四月の歌』? この歌、何か特別な意味でもあるのか?」

「お父さんが好きだった歌っていう以外には、特別な意味は知らないわ」

ウンソンは暫くの間、親指と人差し指で下唇をつまんだまま、メールをじっと見て、口を開いた。

「ドハ、一度歌ってみろよ」

「え?」

「この楽譜通りに歌ってみろって。俺は音痴だから、音がよく分からないけど、楽譜のタイトルが『四月の歌』だからと言って、音も『四月の歌』とは限らないだろう?」

葬儀場なので歌を歌う気にはなれなかったが、ドハは楽譜に従って低めの声で鼻歌を歌ってみた。そして、不意に歌うのをやめた。

「本当だ、音は『四月の歌』じゃないわ」

「そうなのか? じゃあ別の曲か?」

「ううん、そうでもないみたい。作曲の規則に合っていないし、メロディーもすごく変なの」

ウンソンは楽譜を注意深く調べて言った。

「これ、もしかすると暗号じゃないか? 危険が迫って、お父さんが楽譜を通じてお前に何かのメッセージを伝えようとしたんじゃ? ひょっとして、お父さんがこれまでにもお前に楽譜でメッセージを伝えたことはあるか?」

「うーん・・・ないと思う」

「いくらなんでも偶然ってことはないと思うな。それからこれを見てみろよ。メールに添付された楽譜も、撮影した時に若干橙色の光を浴びているだろう? 明らかに、差し迫った状況で急いで撮影したんだよ」

「言われてみるとそうとも見えるわね。でも、この楽譜が何を意味しているのか、全然分からないわ」

「それは、これからゆっくり時間をかけて考えないとな。ドハ、気が乗らないかも知れないが、やっぱり検死をしてみた方が良いと思うぜ」

「検死?」

「うん、お父さんが何かのメッセージを残して亡くなったのだとすれば、単なるひき逃げ事故じゃない可能性がある。死因をはっきりさせなきゃいけないと思う」

「日本の警察は、典型的な交通事故の遺体だから、検死する必要はないって言っていたわ」

「典型的な遺体なんてものはないんだよ。いつもあるのは怪しい遺体ばかりさ。俺が手伝うから、直ぐに検死をしよう」

※※※

イ・ヒョンジュンの遺体は国立科学研究所の鉄製のベッドの上に置かれていた。ウンソンは、ドハが見ない方が良いからと言ってドハを外へ出て行かせた。

検視官が持った真っ青なメスの刃が、口蓋垂のあたりで暫く止まったかと思うと、青みがかった皮膚の中へと入っていっ た。

一度に皮膚が剥がれないので、メスは同じ場所を二度三度繰り返し通った。その通り道に従って、皮膚がジッパーを下ろしたコートのようにむけた。

皮膚の内側の真っ黄色で分厚い脂肪の層とその下のまだら模様の筋肉、胸板を成す骨が次々に姿を現した。

検視官が手袋をはめた手で胸板を引き離すと、肺と腹腔が現れた。

「検事さん、ご覧の通り腹腔の中に出血があります。骨盤の骨は全て粉砕されています。車の重みのためと思われます」

検視官は続いて胃腸、十二指腸、小腸に少しずつメスを入れて、巧みな手つきで内容物を抽出した。

「胃から毒物や劇物、睡眠薬のような薬物は見つかりませんね」

検視官は続いて頭蓋骨を電動のこぎりで切開し始めた。桃色の色に包まれた脳の外側の後部にべとべとした血痕がこびりついていた。

「脳に出血が少しあります。頭蓋骨に外傷がないのを見ると、外部の直接的な衝撃で脳出血が起きたのではなく、車に身体が轢かれて、脳圧が急激に上昇し、血管が切れたようです。

特別な外傷がない上に車のタイヤの跡がいくつかあるのを見ると、典型的な交通事故の遺体と見るのが正しいです」

「車のタイヤの跡で、外傷が消えた可能性もありませんか?」

「私が見るに、そうではありません。それから、たとえ外傷が車のタイヤの跡で消えたとしても、ご覧のとおり皮膚がはがれて外傷を調べることができません」

検査官は手袋とマスクを外し始めた。だが、ウンソンはしつこく頼んだ。

「そうであれば、首の内部も一度調べてみてください。外側の痕跡は調べることが出来なくても、内部には何か痕跡が残っているかもしれません」

「その可能性はほとんどありませんよ」

「可能性が少しでもあるなら調べるべきです。首の内部も確認してください」

検視官は不満そうな顔で面倒くさそうに、再び手袋をはめた。遺体の頭を後ろへ向け、メスで首を切り開いたところ、検視官は決まり悪そうに言った。

「ううむ・・・確かに接骨が骨折していますね。これは縊死(いし)です」

検視が終わると、ウンソンは外に出て、ドハに検死の結果を伝えた。

「お父さんは縊死だったそうだ。首を絞められて亡くなったってことだ」

「じゃあ、お父さんは他殺だったってこと?」

「そうだ。そのあとに誰かが車で遺体を轢いて、巧妙に交通事故に偽装したのさ」

「一体誰がお父さんを・・・・」

まさかと思ったことが事実と分かったとたん、ドハの心の底から悲しみと怒りが込み上げてきた。

ドハの端麗な顔には悲しいと怒りが炎のように揺らめいた。

がたがたと震えるドハの身体を、ウンソンは長い腕でぎゅっと抱きしめ、約束した。

「どんなことがあっても、俺がお父さんを殺した奴を必ず捕まえて、復讐してやるからな」

【8】へつづく

【画像】Sasin Tipchaiさま【Pixabay】


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