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みんなのむかしばなし

今日の夜、15年ぶりに当時一緒に働いていた某新聞社の同僚たちと、オンライン飲みを突如開催。その中の一人の、お誕生日ということで集まった。

私は時間軸が少し歪んでいるのか、久しぶりな感じはなく、ただただ、楽しかった。こういうつながりが、再確認できたのは、コロナ禍の中にあるからで、ありがたい。

同窓会的な空気感。しかし、二人がiPhoneだったことや音声が途切れるといったハプニングもあり、やはりこういう環境は国家で整備すべきだと思った。コミュニケーションは円滑に。。映像より音声が大切っていうのも再確認。

当時の話ももちろん面白いんだけど、なんとなく、私としては未来の話をしたいなぁと思って。でも大半が、そうじゃないのかな。今の立場で何ができるのか?次世代に残すプラットフォームを、私たち大人が考えて作っていくことが大切なんじゃないかな。、

昔話を聞いても、なんだろう、楽しいけど、楽しくない。

そこを楽しむことができるのは、私がライドし続けることから始まるんだろうな。なんて、思いつつ、みんなの話を聞いていた。

聞けば一人は仕事で淡路島に住んでいるという。総務系らしい。給料は保証されつつ、その場で暮らせることはこの上なく安全なのかもしれない。安心と、安全は、別物だ。

一人は同業。相変わらず。

もう一人はある紅茶の会社の経理。そっかぁ。みんな社内で働いているのか。

わたしは人の話を聞く仕事だ。聞いて、ニーズをかなえる仕事だ。なんなら、他の方々と協力してできることがワンサとある。そこに魅力を感じる。協力してくれ!したい!の発信は、怠らないようにしている。

しかしながら、過去の話をすると、自分はいらない記憶はどんどん捨てているのだとわかる。言われても記憶がないこともあって、自分でも驚いて、あの人に間違った情報がいっているんだろうな、嫌だな。でも仕方ないな、なんて思いをグルグルしていた。

これだから昔の話は嫌いだ。未来の話だけしたい。

何がしたいのかな?楽しいことは何かな?私もそれに協力できるかな?次世代も面白いと思う未来は、今、何を考えて決めていけば作れるかな?本当に色々考える。

でも。次世代はもちろん大事なんだけど、私たちも幸せになりたい。わたしは、わたしより年上の人たちにも、社会に関わる楽しさを知ってもらったらいいと思う。視野が狭くて、そこで楽しいものもいいけど、そこにloqは高くあるのかな?

なんて思いながら、ゆるゆるとお酒を飲んでいた。久しぶりに、こんな時間まで起きていた。これはもう。昔の話のおかげなのだけど。

今より昔が甘美だ、というのは、納得だ。



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