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暗黒舞踏について

暗黒舞踏、みなさんはご存知だろうか。秋田県出身の舞踏の祖、土方巽が中心となり形成された前衛舞踏の様式で、前衛舞踏のひとつである。

記事にあるように、西洋ではバレエを代表として「天」を思い起こさせる動きである。跳び、宙を舞い、天を仰ぐ。対して暗黒舞踏は「地」である。這い、倒れ、縛る。しかしたまに天も仰ぐ。日本の舞踊は全体的に見ても地に足を付けて動作するものが多い。共同性を強めるための機能的役割を持つ盆踊りさえそうだ。ちなみにこの盆踊り、室町時代に始まったといわれており、やはり元は宗教文化である。平安時代、空也上人によって始められた念仏踊りが、死者を供養する意味合いを持った行司として各地に定着していった。宗教はアートの根源でもある。すごい。ちなみに故郷の会津でもそんな行事を発見。

アジアの舞踏って地に足付けたものが多いな。

突然だが、私はこんなプロジェクトに今参加している。

【U GO HOME PROJECT】 秋田県羽後町を中心に、Uターン以外にも故郷とかかわりあえる仕組みを作り、ナカとソトの両方で、故郷を多様で強く面白い場所にするプロジェクト。

去年発足したばかりのプロジェクトだけど、私自身はもう約二年以上羽後町と関わっている。最初は「ウゴマチ」=「羽後町」がどうしても結びつかず、何度聞いてもわからなかった(ゴメンナサイ)。しかしながら、知れば知るほど、関われば関わるほど、倍倍になって面白くなっている町を見て、自らもそこに飛び込んでみたいという気持ちになったことを覚えている。

そのプロジェクト如何に関わらずなのだけど、町には冒頭の暗黒舞踏の祖、土方巽の記念館「鎌鼬美術館」が存在する。前回羽後町に行ったときなんでいけなかったんだろう(笑)めっちゃかっこいい。私はこれまた羽後町出身のおかみが営む神保町の「御燗」でそのポスターを見た時、大きな興味を抱いたことも覚えている。super cool。

そしてなんとこの美術館にはヒエラルキーの代表格ともいえる肩書き「館長」という方が存在しない。森下さんにお伺いしたので間違いない。そこも私はすばらしいと思った。町の人たちが、土方氏を想い運営している。すごい。

ちなみに御燗は秋田料理がめちゃくちゃおいしい。私はマスターが焼いてくれるハタハタがとても大好きだった。今ちょっと行けてないけど。神保町界隈に行かれた際は是非。ランチも夜も、とてもおいしい。

そんなつながりもあり、プロジェクトの友人鈴木君が「慶応義塾大学アート・センターに行くといいよ」と声をかけてくれた。願ったり!タイミング最高。

しかしながら最初に声をかけてくれたのは平日であったので、後日三田に仕事で行ったタイミングを使って突然だけどお伺いすることに。これ、行動力の賜物ね。そして、鈴木君のお陰で慶応義塾大あがくアート・センターで土方巽アーカイヴをご担当されていらっしゃる森下さんへのアポをとり、無事訪問できた。突然の訪問を快諾してくださった森下さんに、そして時間をとって土方巽氏と細江氏のお話をしてくださった同じく土方巽アーカイヴをご担当されていらっしゃる石本さんに心よりの感謝を。またお伺いしたいです。そちらで撮らせていただいた一枚。最高にかっこいい配色、デザイン。恐らく、シルクスクリーン。

そしてその時、石本さんにご紹介いただいた講演が昨日5月3日より「シアターバビロンの流れのほとりにて」で開催。もともとコンテンポラリーは好きなジャンルだったのですぐ行こうと思った。何がすきか。人間の根本的な部分の感情を身体によって表現しているところとか、ストーリー性がないところである。そこには私の「想像性」がすさまじく掻き立てられるのです。想像性くらい自分で守りたい。シアター前にはネコ。この子、公演後にもまだいた。


最初の舞踏は香港から10年ぶりに来日したGrad氏。今回講演前にメッセンジャーで少しやり取りさせていただいた。正直・・・めっちゃくちゃ良かった。そこで即興で思いついた文章があるので書いてみる。

すれ違う光は人、それは私だ。蠢いているのは人、それは私だ。春という季節を目の前にしてこれは出て行くべきなのか、今。嘆いては苦しみ、彷徨いながら生きる私たちに、闇の中で見えるのはただ一つ光だけ。しかし闇はすべての光を覆いつくしはしない。一寸の光を残して。それは未来へと続くもの。残された希望。風船は私の心だ。割れることもあれば受け止められることもある。人に寄り添うこともあれば突き放されることもある。すべては抱擁だ。抱擁の中にこそ私がある。解き放たれるべきところはどこか。

Gradの演技はユーモラスであった。一度で好きになった。演者と見ている側の少しのかかわりで関係性が作れる。これは最高に面白い。後で聞いてみるが、なぜ私の風船をわったの?Why did my balloons break up?:)

この後も永守氏と入江氏の舞踏が続いたが、永守氏の演技はもとより、入江氏の舞踏もすばらしかった。彼女の持つ布がはっきりと赤子に見えた。本物の赤子かとも思った。そして、彼女は蛇になった。人は、あることを通して、仏にも、蛇にも、修羅にもなれるのではないか。そんなことがふと頭に浮かんだ。

プロジェクトで、この暗黒舞踏を元にひとつ、BUKATSUDOを作りたいと思っている。そこでの私の想い。

町の誇りのひとつである土方巽氏の暗黒舞踏。舞踊を彼の故郷である北日本の子ども時代の記憶を元にして独自に開発した身振りを付け加えた新しい形態「舞踏」に発展させたことから、故郷への誇りや、自分を表現することの大切さ、勇敢さを子供たちにも培ってほしい。そして私はその一端になりたい。人生でもっとも柔軟な心のさまを持っている時期にしかできないことを。感じて表現する力を。この町の誇りを通じて育ててほしい。

私には子供がいない。けれど、甥っ子が二人。彼らにも感受性豊かな今の時期だから日常にない芸術をみてほしいと思う。恐怖でも、感動でも、なんでもいい。心が豊かな人に育ってほしい。

まだ構想段階であるが、友人は町の誇りのひとつ、西馬音内盆踊りと掛け算しても面白いのではと思っているらしい。三大盆踊りのひとつ、西馬音内盆踊り。これも最初見た時魅了されたな。根源にあるのは暗黒舞踏も西馬音内盆踊りも「生」と「性」と「死」って言う概念なんじゃないかな。

しかし正直なところ、このマトリックスは縦軸と横軸がありそれぞれの世界観は対極だ。強烈な単独性の一方、共同性に重きを置いた盆踊り。しかしながら暗黒舞踏が白塗りの演者は死者を表現しているし(舞踏とは命がけで突っ立つ死体という土方氏の言葉がある)、盆踊りは共同体の補強という性格も持ち合わせているけれどそもそもが死者の踊りである。そこに共通する概念は一緒なのではないか。土方氏が田代に来た理由はこの盆踊りを子供のころに見たからなのではないか。

西馬音内盆踊りは、約700年の歴史があるといわれており、継承文献が存在しない。すべて踊り継がれてきたことから今に続いている。子供のころの土方氏は、この幽霊のような踊りをみて、恐怖や狂気を少なからず幼心に抱いたのではないか。

暗黒舞踏は見る側に、恐怖や狂気といった感情を呼び起こすものである。なぜそういった感情が呼び起こされるかというと、私たちの日常の中にその「動き」のプログラムが薄いからであると思う。今日で言うと、なぜ目隠しをしているのか、なぜそこから出てこないのか、なぜすぐに動かないのか、など。

まだまだ考察は続くのだけれど、ひとまずここまで。暗黒舞踏は光の裏側である。闇の中に動くものである。私はそこが好きだ。もともと根暗なんだろうな(笑)

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