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高校野球から坊主頭がなくなってしまう時代背景とは?

時代背景に応じた「変化こそ常道」を忘れてはなりません!


高校野球ファンの私ですが、ここ数年は甲子園大会をじっくりと観戦出来ないのが残念です。もちろん、仕事の関係なんですけどね。

死ぬまでに一度は・・とは少し大袈裟ですが、ほんと一度ぐらいは甲子園球場で生観戦したいものです。しかも、春ではなく、夏の甲子園大会に限りますね。

そんな今年の夏の甲子園大会で注目していたのは、クラーク記念国際高校と、わが故郷・鹿児島からの代表である神村学園でした。

そのクラーク記念国際高校は通信制高校としては初となる甲子園での「悲願の一勝」に沸きました。素晴らしいことです。

そして神村学園です。昨日の準々決勝での勝利、ほんと快進撃には元気をもらいました。

鹿児島県勢のベスト4は2006年以来とのことですが、その2006年にベスト4まで進んだのが、正真正銘、私の母校である鹿児島工業高等学校です。こうなったら、神村学園には是非とも優勝して欲しいものです。

ほんと、高校野球って素晴らしいですし、高校球児たちの精一杯のプレーからは実に様々なドラマも生まれてくるものです。

でも、時代と共に甲子園大会の風景も少しずつ変わってきているようです。

クーリングタイムに延長戦のタイブレーク方式などです。

そして、私にとって一番の変化、それは球児達が坊主頭だけではなくなった、ということです。

残念ですが、歴史と伝統の中でも変わらざるを得ない、ということなんでしょうね。

スポーツとは私にとってビジネスの中核を成すものでもあるので、この辺りも少し整理しておきたいと思います。

高校野球での坊主頭がなくなる「社会的背景」ってことですが、私はズバリ「多様性が尊重される時代」にあると考えています。

ご存知の通り、近年は多様性、すなわち個々の価値観や自己表現が尊重されています。

坊主頭は伝統的な高校野球の文化として定着していましたが、そういった多様性が尊重、優先されることで坊主頭を強制することが減ってきている、そんな感じなんでしょうね。

まぁ、スポーツとしての選択肢が広がる中にあり、坊主頭を強制していては野球離れにもなる、そんな危機感もあるのかも知れません。

これは学校教育制度でも然りです。

学生の個性や能力を尊重するということで、外見に関する規制を緩和する傾向がありますが、坊主頭の強制はこれに逆行するものですからね。

従って多様性、一人ひとりの価値観のリスペクトです。

それを団体競技、チームとしてのパフォーマンスを上げるためにどう活かしていくのか?どう組み合わせていくのか?そんな視点が特に求められる時代に今はあると思います。

まぁ、会社組織も同じなんですけどね。

いずれにしても、時代背景に応じた「変化こそ常道」ってことですね。

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