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本を読むということ

こんにちは、ジョフィエルです。お元気ですか?
私は最近自分の心理状態や思考傾向などについて深く考えすぎて躓いてばかりの日々を送っています。
実は先日更新した「人生はダンスをするようにstep by step」の前に皆さんにお話ししなければいけないことがあることに、今気づきました。
それは「本を読むということ」についてです。
この内容は「HOME 私の夢が生まれた場所」の続きになります。
なんだか話が行ったり来たりしてしまってすみません‼︎

私の家族は個性が強い人ばかりなのですが2つ確実な共通点があるんです。
一つ目は以前お話しした「私を外に出したがる」こと。
二つ目は「本を読みなさい。本があなたを導き守る。」ということ。

おばあちゃんもおじいちゃんもお母さんも読書すきじゃないんです。正直、本を読んでいるところもあまりみたことがありません。それでもこの3人はいつも「本はいつも読みなさい。」というのです。
きっと本を読んでいる私の姿が幸せそうだから、というのも理由であるのだと思います。でも「本」は本当に神秘的で神聖な地球の宝だと思うんです。

そして私にとって本というのは、「大切な人との記憶を繋ぎ止めるおまじない」と思っています。

例えば、私が不登校になって病気にもなって精神的にも肉体的にも、もう絶望の中で膝を抱えてうずくまっていた時読んでいた本があるんです。
それはダレンシャンという作家がかいた「ロードロス」というシリーズ本。
この本はダークファンタジーで怖くてでも読み続けるほどに感情移入して不登校で学校に行っていない現実と体の中で針が刺さってくるような痛みを忘れられるほどに面白い本でした。この本の内容と私の人生は重なる部分があまりないように感じています。だからこそ惹かれ心を持っていかれるのだと思います。

この本を読むときは決まっておばあちゃんの一番近くの隣の席、
そしておばあちゃんが編んでくれたマフラーを頭からかぶって読んでいました、
今、このロードロスを読み返すと、あの苦しんだ経験よりもおばあちゃんと本と過ごした温かく優しい一日1日が蘇るのです。
そうやって「本」はその時の記憶までも呼び起こすことができる。
本当にすごい。
読書っていいなって思います。

読書が遠のいて、なんで本を読むのか、そもそも本を読んでいていいのか、私の夢でもある韓国語や英語、語学の勉強をしなければいけないんじゃないかと思って読書が遠ざかっているように感じた時、夜泣きながら書いた日記にこう残していました。

「 この星の住人が100人いたら100の物語がある。だから実際には共有したり共感したりできないのかもしれない、その物語について伝えること、語ること、しかできないかもしれない。そんな不器用で繊細な私たちに愛し合うこと、支え守り導き、励ますために本の存在があるとするならどうだろう。本は本当に素晴らしい贈り物だ、この星で一番本が好き。
わたし、本が好きなんだ。」

こう書いてありました。


人の命は永遠に続くものではない。そして何よりも当たり前の健康などなく全てが奇跡で学びなのかもしれない。
そう思うと今、生かされているこの命が求めるものを追い求めなければいけないと強く思います。

今日もここまで読んでくださって本当にありがとうございます。
ちなみに私は今サマセットモームを読んでいます。
また気づきや伝えたいこと、あったら報告いたします‼︎‼︎

ではまた、ここで会いましょう。
今日は星降る丘のキャンドルの光とともにこのブログをあなたに贈ります。
ありがとう。
またね。



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