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「よろしくお願いします」

2022年になって最初の月がもう終わろうとしている。新年の挨拶をするには遅いかもしれないけれど、あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。

日本の新年の挨拶はちょっと長い。それに、家族同士でも新年の朝には「今年もよろしくお願いします」まで言うのには、最初ちょっと驚いた。それでもいつからか、私も「よろしくお願いします」まで省略せずに言うようになった。

「よろしくお願いします」の日韓差

「よろしくお願いします」は日本ではよく使う言葉だ。ふだんの生活の中で、一日に10回以上は使うのではないかと思う。特に、丁寧な場や仕事では欠かせない。そういうわけで、新年にも自分のことをちゃんとお願いするという気持ちを入れた挨拶をするのではないかと思う。

「よろしくお願いします」に似た意味の表現として、韓国語には “잘 부탁드립니다.”(チャル プタクトゥリムニダ)というのがある。英語だとそもそも「よろしくお願いします」を翻訳すること自体が難しいと思うが、韓国語には似た表現があって実際に使われるので、そういう意味では日本と韓国は似ている。ただ、日本ほどよく使われるわけではないと思う。初めて会った人に対して「はじめまして。よろしくお願いします。」のように言う人もいるが、日本のように誰もがそう言うわけではない。韓国でこの表現を使う場面は、新入社員として会社に入って最初に挨拶するときとか、高齢の母を老人ホームに入れることになって息子が老人ホームのスタッフに対してと言うとか、実際にお世話になり始めるタイミングで用いられることが多いと思う。だから、日本と比べると、使う場面は限定されている。

ちなみに韓国の新年の挨拶は、相手との関係によって語尾が多少異なるが、次のように言う。

”새해복 많이 받으십시오”(「新年、福をたくさん受け取ってください」)

これは英語の “Happy New Year”と語順は異なるが、新年の幸福を願っているわけで、意味的に似ている。新年にもよろしくお願いするという挨拶を必ず入れるというのは、日本独特なのではないかと思う。考えてみれば、対人関係において日本人は、自分自身を相手にゆだねられる対象、受け入れられる対象とみなす傾向があるようだ。

「主体性自己」と「対象性自己」

前回のノートに書いたように、日韓両国はともに集団主義文化圏に属し、人々はグループ内での他人との関係に気を遣い、その中で自分を理解する相互依存的自己性を高く持っていると言われている。前回の「ブックカバーの心理学」の記事でも書いたように、社会的な文脈から切り離した存在ではなく、その中に存在する形としての自己性が強いという点で、日本人と韓国人の自己性は共通性を持っている。しかし、もう少し詳しくみてみると、そのように重要な対人関係の中での自分の位置付け方は多様で、そこには文化的な違いが存在しそうだ。

韓国で教鞭をとる日本人の文化心理学者、犬宮義行と彼の研究チームが示した概念に、「主体性自己」(subjective self)と「対象性自己」(objective self)というものがある。この研究チームは、個々人が社会的関係にどのような動機でのぞむかに違いがあるという。具体的には、韓国人の自己観は自らを社会的影響力の中心的存在とみる主体性自己が優勢で、日本人の自己観は自らを社会的影響力を受容する周辺的存在とみる対象性自己が優勢だという。そして、主体性自己が強い人は一般に、関係をリードする欲求や統制の欲求が高く、社会内で自らの目標を志向する傾向にある。一方、対象性自己が強い人は、リードするよりも受容しサポートしようという動機が強く、自らの目標よりは他人の目標を尊重してあげようとする傾向にある、というのが彼らの主張だ。この研究チームが日中韓三国の人々を比較した結果、主体性自己の点数は韓国で最も高く、対象性自己の点数は日本で圧倒的に高く出た。もちろん、個々人によって違いは存在するだろうが、統計的に集団を比較してみると、このように社会内で自分と他人の関係をどのように見るかについて、日中韓に違いが存在することを知ることができる。その違いの原因は、前回のノートの話に再び戻ると、社会的不安感と関係があるのかもしれない。

犬宮が主張するように、日本人の特徴である対象性自己性が現れる例はたくさんあると思う。言葉の使い方をみても、新年の挨拶で「よろしくお願いします」というほかにも、いくつか思いつく。例えば、日本語では謙譲表現として、「発表させていただきます」「入らせていただきます」のような表現を耳にする。これは、自分自身の主体性をあえて避けることで、対人関係を円滑にしようとしているように見える。会話の仕方をみても、韓国人は直接的な言い方をしがちで、日本人は遠まわしな言い方をしがちだと思う。韓国の店にいくとよく怒られる気がすると夫がよく言うが、これもまた会話の仕方の違いからくるのではないだろうか。韓国で対人関係が重要ではないというのではなくて、対人関係の維持の仕方に違いがあるということだと思う。

心理学の様々な側面がそうであるように、どちらかが正しくてもう一方が間違っているというわけではない。二つの側面の自己性はともに長短を持っている。主体的自己性が強い人々同士が集まれば、自分がリードしようとする人が多く、会話にはしばしば衝突が生じて、どこかに不満が生じることもある。一方、対象的自己性が強い人々ばかり集まると、互いに自分のことをあまりにも注意深く表現するので、話がなかなか先に進まなかったり、率直な意見交換が難しかったりする。結論を出すことは難しいが、社会的関係においては二つの自己性の動機はどちらも重要なもので、その間に適切なバランスを保つのが理想的なのではないかと思う。

今年もよろしくお願いします!

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