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私が社会文化心理学者になるまで(2)留学と異文化体験

前の記事で、精神医学に興味を持った私が、やがて学部で心理学を学ぶようになるまでのことを書いた。今回はそのつづきを書きたい。

集団主義と個人主義

学部で心理学専攻に進んだ私は、心理学の様々な科目をとる中で、文化心理学も学ぶことになった。例えば、世間でよく言われる「集団主義」「個人主義」は、この分野でよく論じられるもので、私も授業を通して接することになった。「集団主義」「個人主義」と関係する有名な研究として、H.R. マーカスと北山忍による一連の研究(例えば、Markus & Kitayama, 1991)がある。この研究では、相互協調的自己観(interdependent self-construal)と相互独立的自己観(independent self-construal)という概念が提案され、東アジアと西欧との間の、考え方や行動の違いが説明されている。この研究に対する評価は様々だが、文化心理学を研究する上で避けては通れないぐらい重要な研究とみなされている。

(もっとも、私が学部の授業の内容の中で最も印象的だったのは、東アジアの中での韓国と日本との違いに関するトピックだったのだが、これについては別の機会に書きたい。)

留学の体験

そういう文化差に関する理論的なことを学びつつ、私は留学して実際に異文化を経験することになった。韓国での学部生のときには交換留学生としてアメリカに留学し、韓国に帰国して大学を卒業したのちは、オーストラリアに渡って大学院に通った。アメリカでは、私のような交換留学生が世界の様々な国から集まっていたし、オーストラリアも移民国家なので多様な文化圏を背景に持つ人々がいた。単一民族国家とみなされがちな韓国で育った私にとって、それらの人々との出会いは新鮮な体験だった。

例えばこういう体験をした。オーストラリア生活の一時期、同じ宿舎にシンガポール人が住んでいた。彼女は食品を買い物してくると、それをビニール袋でぐるぐるに包んでいた。共有のキッチンにおかれたそれらの食品をみると、まるで、「私のものには絶対に手をふれないで!」と主張しているように私には見えた。私が思うに、韓国人はもっとオープンで、ときには自分が買った食品でも同じ宿舎の人たちとシェアする。それが人と人とが「情」を分かち合う上で大切なことで、そうしなければ冷たい印象を与えてしまうのだ。だからそのシンガポール人の行動には、とても違和感を感じた。それで、思い切って彼女にきいてみた。どうしてそんなふうにビニールでぐるぐるに包むのかと。

それに対する彼女の答えは、私にとって全く意外なものだった。シンガポールは湿度の高い国なので、食品が湿気で悪くならないように、徹底的に密閉する習慣が身についているのだそうだ。なるほど、人々の行動は文化によって違うし、それには気候など様々な要因がかかわっていて、人々は与えられた環境の中でうまく適応するように進化し発展するのだ・・・と感じることになった。

自然環境と心理学

ちょっと話はそれるが、実のところ近年の心理学でも、文化差を明らかにするというそれまでの研究に加え、自然環境がいかに人々の意識や行動に影響を及ぼし、文化差を形成するに至ったかを明らかにしようとする研究が、活発に行われるようになってきている。代表的なものとしては、Talhelm et al. (2014) の研究を挙げることができる。この研究では、地域による個人主義的・集団主義的な意識の違いが、長い年月にわたって続いてきた農業の方式の違い(コメ栽培とコムギ栽培の働き方の違い)と関係することが論じられている。

また最近では、「緯度心理学」(latitudinal psychology)という名のもとに、創造性、攻撃性、個人主義、信頼、生活の満足度から自殺率に至るまで、人間の意識と行動に関する様々な尺度が、洋の東西よりも緯度の南北と相関をみせるという研究が出てきている(例えば、レビューとして Van de Viert & Van Lange, 2019)。

これらの研究についての評価は、心理学の中でもまだ賛否がかなり分かれていると思う。そもそも、最初のコメ・コムギ栽培の研究と2番目の緯度心理学は、文化心理学に環境の要因という視点を取り入れている点では同じだが、個人主義・集団主義の形成に何が影響したかについて、全く異なる主張をしている。このような研究は、今後どういう展開を見せるだろうか。

留学とその後

さて、話を私自身の体験に戻すと、実のところ私自身としては、人々の文化的背景による違いよりも、どこの文化圏の人々も本質的には同じだと感じることの方が多かった。私がよく感じたのは、より深く内面的なレベルで感情を分かち合い、互いに好奇心や関心をシェアしながら関係を構築していくという、人間の本質だったのではないかと思う。そういえば私が大学院ではじめて行った研究(Park et al., 2011)でも、日本人、韓国人、オーストラリア人を比較したのだが、違いが出ることを予想して始めた研究だったにもかかわらず、結果は文化圏によらず同じというものだった。もちろん、これは驚くべきことではなくて、文化によらない普遍的な特徴もまた、心理学ではたくさん報告されている。

さて、私はオーストラリアで博士課程を修了すると、日本で暮らすことになった。ポスドクを経て大学教員となり、今に至っている。上では文化圏によらず人は本質的に同じだと感じたと書いたが、実は日本で暮らすようになってからは、同じ東アジアでも日本と韓国は結構違うと感じることが多かった。たぶん、社会文化心理学の中では東アジアとして一括りにされがちだからこそ、違いの方に目が向きやすかったのだろう。

前回から2回に渡って書いた私の自己紹介的な文章はひとまずここまでにして、今後は主に日本で経験したこと、感じたことをもとに、社会文化心理学とからめた文章を書いていきたいと思う。

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