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「掘り出し者」

 僕の友人であるAは、若者には似つかわしくない、また当時から相当変わっていた“収集癖”を持つ男だった。

 そのラインナップは様々で、用途不明の壺や置物の数々、底まで型が落ちているであろうTVやラジオなどの類いの電化製品も収集していた。その多くは月に一度近所で開かれる骨董市や近所の知り合いからの掘り出し物がメインのようだが、本人曰く「掘り出し物」と言っているだけであり、他人から見ればそれは紛れもなく「掘り起こし者」に相違なかった。それに加えて、道に捨てられているのか、はたまた転がっているのか判別不明な代物まで平気で自室に持ち帰るのだ。どうして彼がそんな昭和の代物を単独で背負って立っているのかは不明だが、僕の出会った学生自分なら貧乏が故の行動と解釈できる。しかし、それは10年以上たった今に至るまで尾を引いているようだ。これはもう見紛う事なき「癖(へき)」であった。

 しかし実際問題のところ、私自身の実利的な被害がない分これと言って問題はないのだが、強いて言えばたまにAの家を訪れるときに漂うあのどこから発出しているか不明の香りがたまらなく居心地が悪く、想定より1時間半ほど早く帰りたくなることくらいだろう。そんなAから最近こんな話を聞いた。

「学生時代からお世話になっている近所のおじさんから古くなったものがあるから今度取りに来ないか?年代物だぞ。 と言われてさ・・・」

彼はそのお誘いを誰もが喜ぶかのようなテンションで話した。この手の自慢話かよくわからない話は時折自分の耳に半ば強制的に放り込まれるのだが、どうやら今回はそのレア度がいつもと異なるらしい。

「それで、代物はいつもの壺とか、置き物の類いなのか?」

不覚にもこの十数年間近くでこのような話を聞かされている分、感覚が少しずつマヒしているのだろう、興味を持ってしまっていた。

「詳しくは聞けていないけれど、引き取りの日時と約束はもう決めた」
「もし大型の棚や使いようもない品だったらどうするんだよ」
「まあ、いつもと同じく家に保管して責任をもって引き受けるさ」

Aはいつものごとく、“掘り出し物”に対しても胸を高鳴らせながらその話は終わった。

 そんなやりとりのあった数か月後、Aの家を私は訪ねた。家は相変わらず得も言われぬ独特臭に包まれていたのだが、いつもと様子の違いに気づいたのは居間に辿り着いたころだった。古臭い家具のあれこれや配置には変化がないのだが、一点、居間のコタツには見覚えのない老婆が座っていた。あまりに風景に馴染みすぎて骨董品かと思ったが人間として機能しているようだった。Aもそれに対して特段取り立てる様子もなく、世間話を私と続けようとしているが明らかに状況が呑み込めない。老婆は私にしか見えていないのかとも考えたが、そんなわけでもないだろう。私はAに問うた。

「その、コタツにいらっしゃる方は?」

「ああ、この人はこの前オヤジさんに譲ってもらったんだよ。90年物のビンテージらしい」

 彼は数年後、その「掘り出し物」を埋めたと聞いた。

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