休職日記 〜久々の執筆〜

 noteを放置していて、どれぐらい経つだろうか。おそらく引っ越しを終えて名目上(住民票)も居住も地元に戻ってきた、というところぐらいで日記は終わっていると思う。毎日と言わずとも週3,4日は更新しようと思っていたが、やはり自分の性格上難しかったようである。どうしても日常で用事ができてしまうと日記を書くという作業が後回しになってしまう。それはそれでいいのだろが他人の予定を優先しすぎて、自分の予定を最後にもっていきすぎると、疲弊することに気づいてきたので程々に自分の予定を消化できるようにしていきたい。

 放置していた期間のすべてを語るのは少し難しい。ここ1,2ヶ月の間に釣りをはじめ、バイトをはじめ、ライブを見に東京に行ったりした。もちろん、再就職に向けて毎日求人票をチェックしては応募を続けている。適応障害のどん底にいたころを身近に見てた人からははっきり回復しているように見えるだろう。

 さて、それでは自分自身はどうか。どん底にいて体を動かすこと自体根気を伴うような頃に比べればだいぶ楽になった。RPG的に言えばMPはかなり回復したと思う。とりあえず人並みの行動力と会話、食事を楽しめるようになってきた。意外のことだが、今回の病気を通してのせいかわからないが、バイトで人から怒られても(コールセンター業務なのでたまにお叱りを食らう)そこまで傷ついたり、落ち込むことはなくなった。相手は自分のためではなく怒りたいから怒っている。どれだけ偉そうな人が偉そうなことを言っていても、裏では女遊びにふけりSEXをしていると考えてると大したことないな。と感じ同じ人間であると思える。以前は完全萎縮していた。いや、いまでもやっぱり役職が高い人の前で話したり、コワモテの人に怒鳴られると声が震えるぐらいビビるが、その後のメンタルの立ち直りは少し早くなったと思う。そもそも、20代の頃はメンタル的にきついと言われているコールセンターのバイトなど考えられなかった。年のせいかもしれないがそういうことに少し鈍感になれたのであろう。あとは他人から罵倒されるより好きな人から面と向かって非難されたり、嫌われるのを承知の上で自分から嫌なことを言わなければならない場面の方がよっぽど精神的にきついことを知ったからかもしれない。それらを全て、大人になった、成長したとは言いたくないが、社会での適応能力が少し身についたのだろう。あとは無事正社員にでもなってフルタイムで働けるようになれば一安心というところか。

 ただ、ここからはマイナスな発言になるが、根本的な気持ちの落ち込みというの今でもある。ふと孤独を感じることもあるし、色々なことが心の底から楽しめない、生きる理由を探す、過去の後悔がフラッシュバックする、こういったことが襲い始める瞬間がある。そういうときはたいてい予定がぽっかり空いてしまったときで特にやることが思い当たらないときだ。バイト中業務は疲れるが、先述したようなことは考えずに済むので、ある意味では楽である。ただし、予定を詰め過ぎるとそれはそれで疲弊するのでその塩梅が難しい。もう30年以上生きているのに自分がどれぐらい予定を詰めたらだめなのかがわからない。これもまた適応していく必要があるのだろう。

 少なくとも、自分にとっては生きることは苦行だ。弱音を吐くな、下を向くなと社会は言うが下を向かせている元凶は社会だ。全てはつながっている。高齢者を目の敵のように非難している人もいずれ高齢者になる。子供にことさらに夢をもたせてもいずれ大人になり現実を直視する。それがわかっていても世間ではそういった言葉が飛び交っている現実が自分はよくわからない。よく分からないから生きづらい。そんな中でも、自分みたいに考えている人もたくさんいることを知ったのは良かったことかもしれない。

 生きていると9割以上は嫌なことの連続だが、たまに生きていて良かったと思える瞬間が訪れることがあるから生きている、と言ったのは中島らもだったか。そんな風に考えながら自分もだらだら生きていこうと思う。

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