アイドルの「終わり方」と「美学」について

嵐が「未完」という曲で活動休止に入ってくれたら最高に痺れたと正直今でも思うけど、始まり方より終わり方に執着があると気付いたのはそもそも嵐がきっかけだったと思う。

最近キンプリの「ツキヨミ」のMVを見て私が求めていたものはこれだったのかと思った。まずこの曲は歌詞が良い。

「潜んでる街に 月が妖しく 傾いて昇る
きっと今夜 何か起こる」
別れの物語の始まりを告げている?

「愛は要らない 知らない 孤独でいたい 消えたい」
あの綺麗なイメージの強いキンプリが最後に歌うのが痛み、哀しみ、辛さ。世界が簡単ではないことを訴える。

「君はこの嘘を見抜いて 君だけはどうか気づいて」
これやばい___________ファンだったとしたらおかしくなってしまうと思う。「君」に対してバカ重感情を一方的にぶつけてくる曲は多いというか、アイドルソングなんてほとんどそうだけどこれは少し違う。一歩間違えたら死が見える。

MVの世界観も全体的に暗い。みんな脂汗かいてだるそうにソファに雪崩れて葛藤してる。と思ったら突然踊り出す。嵐のダンスしかまともに見てなかった私はキンプリのレベルの高さに驚いた。カ〇アンがキラキラアイドルソングを歌いながら裏ではみんなKPOPを流してるって言ってたの結構覚えてるんだけど、若い世代はやはりそこにブラッシュアップされているんだろう。同世代のアイドルをラポネしか見ていなかった弊害に気付いた。情報量がなかった。旧体制のキンプリきっかけでそんな事まで思いました。全然ファンではなかったけど改めてお疲れ様でした。嵐もキンプリも人を救うグループだったと思います。

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