絵を描き続ける意味。

私は去年くらいから絵を描く意味がわからなくなっていた。

それは自分の環境がひとつの到達点に達し、不自由がなく制作できるようになったからだと思う。(もちろんいろんな人のサポートがあってのこと)

今までの自分からするととんでもなく良い環境だと思う。
そして今までと比べて一番人間らしく過ごせている。

それは私が私でいられるということ。

今までの私は私でいられることが難しかった。
そのなんともいえない気持ちは制作意欲に向かっていって、作品を作って発表をし自分の存在を作品をもって認知してもらうことに意味があった。のだろう。おそらく。

今やその必要はない。

そうするとなにを目的に作品を作っているのか?
なぜこんなに生活を切り詰めて制作資金にあてているのか?
全然わからなくなった時があった。

この前gallery yongouさんで個展をさせてもらったとき、自分がしたい展示を目指して空間を作らせてもらった。
私には私のペースがあるので、今までの作品や個展の流れ、時代の流れを踏まえて自分がなにを表現したいのかを再考する展示となった。

そして6月には和歌山で個展、8月はインディペンデント東京が待っている。

私はいつも展示する場所に合わせて作品を制作してきた。
ふるやみかといえばSOTAIというヒトガタの作品はみんな思い浮かんでくれるようになったと思う。
でも代表作といえば?ふるやさんの作品の主体は?
SOTAIというモチーフが強い上に、本来私が言いたかった主張と合わなかった時もある。(その問題はこの前の個展で解消されたように私は思う。)

私はSOTAIが日本でもアジアでも海外でも広く広まっていけばいいと思っている。その手段が平面絵画作品を作ることでいいのかどうかは考えているところ。ただ、SOTAIの概念が地球上に広がると地球という星に住んでいる人類という人たちが少しでも共生しやすくならないかなと思っている。
これくらいの視野でいつも制作をしているが作品に落とし込むのはなかなか難しい。あとは多分描きたいんやろな、筆で。

これからも筆で描き続けたい。そこは自分でしか描けないなにかがあると私は思っている。