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元祖平壌冷麺屋note(7)

今日も飛んでる鳥がそのまま照り焼きチキンになるような暑さだった。夏になったと勘違いして、蝉も土の中から地上へ出てきたほど。

4月から毎朝、30〜40分ほど、地域パトロールを兼ねた散歩を続けている。3ヶ月前は、挨拶さえしなかった登校中の小学生たちが、今では気軽に話しかけてくれるようになった。

今朝は、小1男子が熊蝉を手のひらにのせていたので、「おっ、手のりゼミは珍しいなあ」と声をかけたら、背中が潰れちゃってて飛べなくなっているから、樹液のありそうな木を探しているとのことだった。

自分が小学時代の夏は、弟を連れて、近所の須磨寺公園へよくセミ捕りに行った。虫かごはアクリルの大きい箱のやつと、プラスチック網状の小さめの二箱、虫取り網は長いのと短めの二本。

背の届かない木に止まった蝉は、虫取り網のお尻に枝を引っ付けて長くしたり、途中まで木登りして捕まえた。取り逃がしたとき、蝉はオシッコを引っ掛けながら飛んでいくのだった。

家へ帰るときは虫カゴに、せみがパンパンに詰め込まれてひしめき合っていた。家の前では、すべての蝉を一匹ずつ取り出して、数えながら青空に放った。玉入れ合戦の後、赤玉と白玉を数え合うように。

ところで、朝の、蝉を手に乗せた少年は、4月には挨拶もしなかったが、5月には挨拶を返すようになった。先月からは恐竜の話を一緒にするぐらいになった。

飛べなくなった蝉を慈しむ心を、いつまでも持っていて欲しいと願う。いつかの少年のように。





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