どれだけ相手が悪くても、逃げ道は用意しておいてあげたほうがいいという話
どうもjon-YAKITORYです。
最近、東野幸治のYouTubeチャンネルである『幻ラジオ』にハマっております。
BGMとかなしで、でもチャキチャキ喋るわけでもなく、いい具合の間合いで喋ってくれていて凄く聞きやすいです。
でもむちゃくちゃ面白くて、緩いのにしっかり笑わせてくれるのはさすが芸人さんだなって思います。
そのラジオ、編集やYouTubeへのアップロードは東野幸治さんの娘さんがやっているんです。東野さんは「娘D」と呼んでいます。
一応、吉本もYouTubeのパスワードなどは把握しているらしいのですが、基本は娘Dが運営しているチャンネルで娘Dの考えが色々とあるらしいのですが、ある日のラジオで事件が起きるんですよ。
娘Dが就寝中に勝手に設定をいじられるという事件。それどころか、非公開設定していたものも勝手に公開されていたりなどもあったらしいのです。
東野幸治さんは機械オンチ・ITオンチで設定のいじり方なんて全く分からない。となると「吉本が勝手にやった」となるわけです。
そんな状況を「娘Dと吉本が、もめております~」とかまるで他人事みたいに喋る東野幸治に笑ってしまうのですが、そこで結構いいこと言うんですよね。
それが、
「娘Dよ、どれだけ相手が一方的に悪くても、最後の逃げ道だけは作ってあげることをお勧めします」
とのこと。
めちゃくちゃ含蓄のある言葉だなって思います。
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Twitterとか特にそうだと思いますが、正論をぶちかまして相手をコテンパンに言い負かそうとする人って結構いるじゃないですか。
友達とのケンカやカップルの喧嘩でもそういう人は見聞きします。
完全勝利して相手を屈服させたい気持ちがあるのは、まあわかるのですがそれって結局不毛なんですよね。
人は自分の負けを認めないものです。負けを認めさせようとすればするほど意固地になり、そうなると第三者にジャッジしてもらうことで白黒をつけてしまいがち。
でもそれって、相手に恥をかかせただけで相手は屈服なんてしないんですよね。むしろ恨みだけが溜まっていってしまう。
そんなことに果たして意味なんてあるのかと思ってしまいますよね。
コテンパンにしたところで誰も得はしないですし、窮鼠猫を嚙むということわざがあるように下手したら酷いしっぺ返しに合うかもしれない。
武士の情けと言いますか、自分が正しいとわかればわざわざトドメを刺す必要はなく、相手がちゃんと逃げられるようにすることで器も大きく見え、余計なリスクも回避できるわけです。
懐の大きさの話だけじゃなく、理にも適っている。厳しい芸能界でイジリいじられを30年間も続けてきた人のアドバイスは流石ですね。
超実践的な処世術です。
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そういえば、以前Twitterで「人の本性が出るのは"苦境に立った時"と"自分が正義側になった時"だ」という話を見かけました。
これもその通りだな~となんとなく思います。
カーネギー兄さん著の本にも「盗人にも五分の理があることを認める」みたいなことが書いてあった気がします。
これも一種の思いやりなのかなあと。というか、こういうところから思いやりとか優しさって育まれていくのかなあと思います。
やっぱり、普段からそういう心を持っていないといざって時に優しさやって上手く出せないものです。
相手をコテンパンにした方がそりゃ自分はその時だけは気持ちいいんでしょうけど、相手も人間。「あんまり痛めつけても可哀そうだな」って思えるくらいの心の余裕は持っておきたいものです。
というか、そういう誰かを屈服させることに価値を求めないという方が楽しいし良い世界になるかなと思います。
もちろん、情けをかけたのに襲い掛かってくるフリーザみたいなやつがいるのも事実なので、そういう場合は仕方ないのですが。
今日はこんなもんですかね。
3月末に曲を出したいやーつです。次の曲も今作ってますが、悩んでます。
もう没になった曲が5曲くらいたまってる。。。ここまで来るとメンタルもへろへろですね…なんかのタイミングでボツ曲も出したいです。
良ければYouTubeチャンネル見てみてね。
https://m.youtube.com/channel/UCENRrmGuopCcwwi2jW00LDQ
でわ
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