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5.土笛形土製品(垣ノ島遺跡)

展示室の最終コーナーには土笛形土製品が展示されている。卵形をやや扁平にした形で、上面に貯金箱のようなスリットがある。発見した時、作業員が「先生、貯金箱が出たよ」と喜んで報告してくれた時のことが思い出される。でも、この土製品には所々煤が付いた黒い箇所があり、よく見ると樹脂で復元した跡もはっきりと分かる。なぜなら、これは火災の猛火よって焼損した土製品だからである。

2002年12月29日午後11時53分、大船遺跡に隣接する発掘調査事務所から火災が発生した。
第一報は、地元に住む坪井調査員からだった。受話器から聞こえるその声は、ひどく動揺していて最初は何を言っているのか分からないほどであったが、調査事務所が火災らしいとのことで、すぐに車を飛ばして30Kmほど離れた調査事務所に向かった。
現場に近づくと炎と煙が上っているのが見える。我々の調査事務所が燃えているのは間違いない。調査事務所まではこの急な坂を上るとすぐなのだが、何台もの消防車が止まっていて通れない。そこで車を飛び降り、急な坂を駆け上った。坂道は消防車からの放水が一面に流れ、それが寒さで凍り付いているので滑って上がれない。途中何度も転んで膝をつきながら、ようやく現場にたどり着いた。
調査事務所の外観はもう残ってはいなかった。火の手は収まりつつあるが、煙は勢いよく立ち上っている。もう、手を付けようがない。あとは周りの森に火が燃え移らないよう祈るだけだった。

何時間経ったのだろうか。夜が明けて空が白々と明るくなってきている。消防はすでに放水を止め、延焼が広がらないようにと建物を壊し始めている。揺らいでいるのは、煙ではなく大量の水蒸気だ。その隙間から、重要遺物を保管していたロッカーが一つ、ぽつんと立っているのが見えた。私は作業用の厚い革手袋をはめて遺物の回収に向かった。呼び止める声が背後から聞こえたような気がする。
そのロッカーは扉が熱で変形していたが、なんとか手で開けることができた。目に飛び込んできたのは、世界最古の漆糸製品と漆塗注口土器。漆糸製品は墓から部位ごとに切り離し保管していたが、いまは大きく崩落していた。漆塗注口土器は桐の箱に入れていたためか、表面の漆は真っ黒に焦げていたが形状は良く保っていた。
時間はない、どちらか一つを選択しなければ。それぞれの遺物にまつわる記憶が頭の中を駆け巡る。だが、私が選択したのは漆塗注口土器だった。なぜか分からない。小型なので片手で持つことができ、不測の事態が起きた時に片方の手が使えるということも理由だったかも知れない。
焼け焦げた漆塗注口土器を手に取り、引き返そうと振り返った時、床に1cm弱ほどの金色をした玉が落ちているのに気が付いた。金製品などあるはずがない。何だろうと思い、かがみ込んで拾い上げてみると、それは真鍮製のロッカーの鍵が高温で溶けて玉となって落ちたものだと分かった。猛火に曝された遺物たちの状況を悟った。
再び漆塗注口土器を手に抱えて立ち上がると、床が一面にキラキラと輝いている。水蒸気を通して差し込んでくる朝日に反射して、その輝きはまるで水晶のようだ。最初は氷に光が反射しているのだろうと思ったが、よく見るとそれは窓ガラスが溶けて固まったものだった。ここは何処なのだろう。あまりの光景に現実感を喪失し、一瞬だが、ずっとここに留まっていたいという誘惑に駆られた。

年が明けて、消防と警察による本格的な現場検証が行われ、この火災は放火であることが分かった。その後、2月~3月という厳寒期のなか、発掘作業員のボランティアによる遺物の回収作業を行った。
雪の降るなか、床面の氷をバーナーで溶かして遺物を回収するという過酷な作業であった。あの時に救えなかった漆糸製品も足形付土版も作業員が取り上げてくれた。そして、回収作業が終了した後、修復作業に入った。一時的な修復を自分たちで行い、仕上げは専門業者に委託することとした。
あるとき、坪井調査員が「なんとか、復元できました」と、この土笛形土製品を愛おしそうに両手に包んで私のところへ持ってきた。粉々に砕けた破片を苦心して繋ぎ合わせたのだろう、どうにか形は保っているが隙間だらけで、しかも所々焼け焦げており余りに痛々しかった。しかし、それを見た瞬間、これは鳥だと思った。まるで傷ついた小鳥が両手のなかで回復を待っているように見えた。冒頭に掲載した写真は、その後に専門業者が綺麗に修復されたものだが、私はあの時に写真を撮るべきだったのだと後悔している。

この鳥のような土笛形土製品を縄文センターの最後コーナーに展示した。
このコーナーを右に折れると出口に向かう上り階段があり、見上げると出口のガラス戸を通して柔らかな外光が射してくる。その輝きに向かって階段を一歩一歩昇っていく。その途中の銘板に私はメッセージを記した。ミヒャエル・エンデの物語に出てくる言葉だ。「終わり、そして新しい始まり」。
"an end and a beginning"

最後のコーナーに展示された鳥形の土笛型土製品

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