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涙に溺れる真夜中

一発目の投稿でこんな重たい話をするのは如何なものかと思うけれど…幼い頃に亡くした父の話をしたいと思います。

私の家は少し特殊で、同じ敷地内に祖父母の家(父の実家)と父母兄私が住む新しい家があります。祖父母宅で皆でご飯を食べ、寝る時は新しい家で。父母が仕事等で家を空ける時は祖父母宅でお留守番。そんな生活スタイルでした。

当時、私は保育園には行かず祖父母に預けられていました。超少子化のド田舎にも関わらず所謂「待機児童」だったのです笑。

その日、父は新しい家で壁の修復か何かをするということで、幼い私は危険だからと祖父母宅にいました。祖父母と親戚の家かどこかに出かけようということになりました。そこで私と祖母は「出掛けてくる」という旨を父に伝えるため、新しい家に行きました。玄関のドアを開けると…そこには倒れている父がいました。

そこからは記憶がありません。兄は保育園に親戚のおじさんが迎えに来たというので、きっと私もおじさんのお世話になったのだろうと思います。母は仕事中で、祖父母は救急車とともに病院へ向かったはずですから。次の日はなんだかやけに鮮明に覚えています。たくさんの人が家に来て(当時、地元では自宅でお葬式を行うところも多かったみたい)、知らない大人たちが幼い私に向かって悲しそうに、優しく笑いかけるのです。果たしてその時の私は「死」というものを理解していたのでしょうか。

父を発見した時のことを、真夜中の寝る前の暗い部屋で思い出すことがなぜか歳をとるごとに増えてきました。そして頭に思い浮かぶのはなぜか私の視点(倒れている父の姿)ではなく、それを発見して玄関で立ち竦む私と祖母の姿なのです。「あの時、私がもっと早く発見できていたら」そんな後悔と自責の念に苛まれて、小一時間涙が止まらないのです。全部タラレバだと分かっているけれど、幼い私にはどうしようもなかったと分かっているのに苦しいのです。

先日、劇場版『ミステリと言う勿れ』を鑑賞してきました。劇中に「子供の心はセメント」といったセリフがあります。まだ液状の幼い私の心に、「父の死の第1発見者」という大きくて重いものが落ちてきて、私はそれをどうにもできずにセメントはそのまま固まってしまった。だから今も尚、それに苦しめられている。中学生の時、母方の祖父を亡くしましたが、それは時間が薬となり今は乗り越えられているような気がします。そう考えると「子供の心はセメント」という比喩はすごく納得のいくものです。

友達に話すには重たすぎるし、家族にも傷を抉りそうで話せない話。ここに書き込んだことで少しでも軽くなりますように。

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