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息子が理系に進むキッカケ

息子が小学3年になった時、兼ねて噂の先生が担任になりました。
噂というのも、悪い噂で、他の学年のお母さんから気の毒がられました。
何が、悪かったのかよくわからなかったけど
噂では、子供達が勉強しなくなったとか、子供達が落ち着きが無くなってきたとか、先生の休みが多くて困るとか色々聞く事になりました。

初めての授業参観で、先生に会った時の印象は、50代で、痩せていてなんとなく覇気が無い感じの男の先生だなぁと感じました。
しかし、人当たりは優しく、子供達の個性を尊重してくれる先生だとわかりました。

その後、その先生は腎臓の病気を患っていて、
毎週、透析をしている事を知りました。
よく見ると手も普通のサイズの倍くらいに腫れていて、その手でチョークを握り教えていました。
顔色が悪いのも、痩せているのも病気のせいだと解りました。

専門は「理科」で、市が運営する「理科教室」にも参加していました。
「理科教室」も我が家の子供達も参加していて、磁石に着くスライムや、フィルムケースロケット(入浴剤と水で、フィルムケースの蓋が飛ぶのです。)など何度でも参加していました。

スライム作り
フィルムケースロケット

そういう事もよくしていた先生です。
学校でも、昼休みに、太陽光の反射板を利用した「焼き芋」を作ってくれたり、グミを作ってくれたりと色々してくれていた事を家に帰って報告してくれました。

太陽光の反射板


息子は益々、“理科好き”になっていきました。
いつもの授業の様子を聞いていた娘も、その先生が次の担任にならないかなぁと期待していました。

次の年、その先生は他の学校に転任して行きました。
息子は、たった一年の先生で、また、娘はもう担任にはなってもらえない事を残念がっていました。

それから半年後、その先生の訃報を聞きました。
息子が、葬儀に行くと言うので連れて行きました。ショックだったようです。
何も言わず、泣きもしませんでしたがしっかり手を合わせていました。


息子は、理系に進みました。
「理科」が好きになった事で勉強も楽しみながらできたようです。
人生の師だったかもしれません。

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