エスカレーターの思い出
今年の『パリ五輪』では、「エッフェル塔」の向かい広場での開会式でしたね。
「エッフェル塔」は、1889年の第4回『パリ万博』の目玉として完成して、世界中の人達を驚かせます。
アール・ヌーヴォー(新しい芸術)が花咲き、
どんどん技術が進歩して、万博の開催の度にみんなが驚く物が出てきた頃でもあります。
その時は、“エレベーター”の完成でした。
水力での“エレベーター”は、斜めに配置され、真っ直ぐ上に上がって行く、今のとはかなり違う“エレベーター”でした。(エッフェル塔の足の部分に配置されています。)
今もその“エレベーター”が動いているのはすごいです。
1893年アメリカの『シカゴ万博』で、“動く歩道”がお目見えします。
この博覧会に設置された動く歩道は緩急2種類のスピードを組み合わせたもので動く歩道に乗った人がさらに速い方のプラットフォームに乗り移って移動できるように設計されていたそうです。
そして、1900年の、第四回『パリ万博』に「エスカレーター」が出てきます。
この万博で、一等賞を取ったそうです。
元は、1859年、アメリカで、“回転階段”として、特許を出願されたのが初めてで、設計図だけで、実際の「エスカレーター」はまだ、できていませんでした。
その後、1892年、アメリカで特許を認可されて、ニューヨークのコニーアイランドにあった Old Iron Pier に実物が、設置されてから広がっていきます。
日本には1914年(大正4年)「東京大正博覧会」というのが上野で開かれ、そこで初めて「エスカレーター」が、お目見えします。池之端から上野の山まで伸びていたそうです。
同年に別館開店の「三越日本橋店」に設置されます。
これから「エスカレーター」は全国に広がり、「エスカレーターガール」が配置されていった様です。
昔は、“デパートガール”になるのは少女達の憧れで、一番は、「エレベーターガール」で、二番には「エスカレーターガール」と皆んなの人気職業でした。
白い手袋をして、背筋をピーーンと伸ばし、
「いらっしゃいませ。
足元にお気をつけてください。」との呼びかけに子供の頃、友達の家の階段の前で“ゴッコ遊び”をしたものです。
いつの間にか、「エレベーターガール」は残っている老舗デパートはあるものの、「エスカレーターガール」はいなくなってしまい、アナウンスだけになりました。
そういえば、デパートの「エスカレーター」は最初登りしかありませんでした。
私は祖母とよく大分の「トキワデパート」に行ったのですが、さすが、東京生活者、「エスカレーター」も慣れていてスイスイ乗っていました。(母の方が、立ち止まりながら乗っていました)
そこへ、「トキワデパート」も下りの「エスカレーター」ができたのです。
初めての下りの「エスカレーター」は、なんとなく下まで転がり落ちそうで、どの人もちょっと戸惑いながら乗っていました。
私と祖母も、初めての下りの「エスカレーター」を体験しました。
私はまだ若かったので直ぐ乗ることができたのですが、年取った祖母は、なかなか乗れず、仕方がないので太った祖母の脇を抱えて、力を込めて
「いちにーの、、、さん❗️」とヨロヨロする祖母をどうにか乗せてあげた事を覚えています。
あの頃、誰もが「エスカレーター」の前で数字を数えていたと記憶しています。
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