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フランス人形

『フランス人形』と聞いて、Z世代は、海外製の一体何十万円もする顔が陶器でできている人形を思い出すそうで(あくまで娘の意見だけど)

今の子が思う『フランス人形』


昭和の人間と言えば、ガラスケースに入っている、玄関、床の間、ピアノの上にあった、顔が布製で、目が大きく星がキラキラしていて、フリルがたっぷりあるドレスを着た、人形を思い出すに違いないと思います。

私が思う『フランス人形』

第二次世界大戦後、経済が復興して国民生活に余裕ができ、またアメリカ文化の強い影響により洋風化が進み、西洋風の人形を部屋に飾る事も当たり前になったが、一般には、フリルやリボンなどの装飾を多く用いたローブ・デコルテを着けたものを、生産国に関係なくフランス人形と言うようになった。実際には欧米で作られたものは、その顔立ちなどが必ずしも日本人の好みに合うわけではなく、日本でフランス人形として流通している、ややあどけなさを加えて日本人の嗜好に合わせたもの(文化人形のフランス人形など顔が布製のもの)の大部分は日本製であったと言ってよい。子供の玩具として用いられる事はなく、部屋の調度品とされる

Wikipediaより

日本製だったんですね。
どおりで日本人好みの顔ですよね。

北海道の熊の置物や、こけしなど、何処かのお土産で頂いた物とは違って、
『フランス人形』って、どうやって我が家にやって来たか解らないものではありました。

御多分に洩れず、我が家にも、私が記憶している限りでは、いつの間にか家にありました。
気づけば、ピアノの上にありました。
で、いつの間にか我が家からいなくなっていました。

まるでスリラー❗️

「市松人形」より怖くはなかったですが、昔の人は人形を飾るのが好きでしたね。

ちなみに、祖母は、自分の晴れ着を着せた「市松人形」を大切にしていて、何処に引っ越すにも持ち歩いていたそうで、私が小さい頃は、伯母さんが持っていて、お泊まりに行くと、仏壇と桐箱に入った「市松人形」が並んでいて、怖くて夜、泣きそうになっていました。
伯母さんの話では、中国から戦争の最中、50cmはあるその人形を祖母は伯母に持たせて帰って来たそうでした。その事で伯母は、
「お腹の足しになるものでは無い物を、必死に抱えて帰ったのよ」と言っていました。
祖母にどんな思いがあったのか聞くことが無かったのですが、とても愛着があったのでしょう。
祖母が亡くなった時、伯母が人形をお棺に入れて、一緒に火葬しました。
骨になった祖母の側に、針金が残っていて、ちょっとドッキリした記憶があります。

昔の人も愛でていたんですね
可愛いのか、怖いのか
私は苦手です


そういえば、私も小さい頃の写真にまぁ大きい人形を持っているのがありました。

これも『フランス人形』だよな


確か、寝かせると目を閉じる人形だった記憶があります。
いつもタンスの上に飾っていました。

思えばこの人形もいつの間にか、消えていました、、、💦

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