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野上弥生子その後②

スタイリストをしていた頃、年に一度は東京に行っていました。
町田に住む伯父さんの家に一週間程ご厄介になりながら、また、友達の家にお邪魔しながら。
ですから、東京へは別に大変な上京ではありませんでした。

その時は、渋谷に近い所に住んでいた漫画家の友達の家にアシスタントを兼ねて厄介になっていました。
他にも何人かアシスタントがいて、狭い家にバックの絵担当、ベタ塗り担当、消しゴム担当、ご飯担当などと別れて締め切りと戦っていました。
私が、NHKに行く事を話ししていたら、その中の一人が、「アポ取ってるの?」と言われ、「いや、していない」と言うと
凄く馬鹿にされて、「そんなの上手く行くわけ無いよ」と言われてしまいました。
思えば、そうですよね。凄く怖くなってきました。

NHK

とりあえず、NHKに行ってみる事に。
渋谷のNHKの受け付けの方に、「川口幹雄さんにお会いしたいのですが」と言うと、
「川口幹雄でしょうか?どこの所属でしょうか?」
「お約束はおありでしょうか?」
やっぱりです。
「あの〜、かなり年配の方だと思います。
約束はないのですが、NHKの川口さんに会いに行くようにと大分のフンドーキン醤油の副会長から言われて来たのです。」
思えば、副会長からは名前しか聞いて来なかったのです。
けげんな感じはありましたが、ファイルを取り出して探してくれました。(まだ、紙の時代です)
「一人、NHK交響楽団の方にいますが、連絡してみましょう」と電話をかけてもらい、副会長の名前を出して会話すると、「今から会いましょう。」と言ってもらいました。
交響楽団は、港区高輪にありました。
突然の訪問にも、快く会って下さいました。
当時、NHK交響楽団の理事長をなさっていました。アポ無しで、よく会ってくださったと思います。

副会長とは、かなり仲が良いらしく、大学の頃よく遊んだ話などをして下さり、企画書も、読んでくださいました。
「私は、もうドラマには居ませんから一応、預かります。でも、期待はしないで下さい。」と言ってくださりました。

夢のような時間でした。
期待はやっぱり、膨らみました。

「川口幹雄」さんは、後の16代NHK会長で、若い時は、ドラマのプロデューサーで、「おしん」の企画を通した人でした。
凄い人と会ったんだなぁと後で緊張しました。

おしん

副会長にも、連絡し大きな仕事を成し得た気分で帰路に着きました。

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