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「熱中症」の思い出と眠気覚ましについて

序文

 時々猛烈に思い出すことがあったので言語化しておく。高校三年生の時に参加した夏の合宿のことだ。たぶん。大学一年生だったかもしれないけどまあ、誤差だろう。そのどちらかの年だとは思う。

背景

 中高一貫の進学校だった母校は部活も中高一貫というところが少なくなく、私が所属していたのもそういう部活だった。中一から高二までが所属し、高二はその年の文化祭が終わると次の三役を選出して引退する。ただその後も次の三役への引継ぎがあったり、普通に手が足りなかったりで部室に顔を出すことはある。あとお菓子持ってきてお茶飲んだりしてた(厳密には校則違反なのであまり大声では言えないが楽しかった)。そういったように、引退したからと言ってすぐさま縁が切れるわけではない。
 毎年二度の合宿も同様に、高三や大学生、時には社会人になった先輩方が参加してくれることもあった。私も前述の通りこの部活には「打ち込んだ」タイプだったので、高三の夏の合宿にも流れで参加した。
 状況としては、私が引退する半年前まで私のひとつ下の学年は部員のいない空白の学年で、高校から入ってきたその年の新入生が入部から半年でそのまま部長になっていた。正直心配だった。勿論そのひとつ下の中三は中一から入部していたし、キャリア通りに副部長その他の役職で入っていたから全員で協力すれば大丈夫だろう、というのが恐らく部内全体の見解だったと思う。何が問題だったかというと、自分で言うのもなんだが私が割とカリスマワンマンタイプの部長として一年間やってきていて、自分でもそれが当たり前になってしまった結果、後を継いだ後輩に対しても同じタイプの部長像を前提として評価を下していたことだった(他の部員や顧問の先生方の評価がそうだったということではなく、あくまでも私が個人的にそうなっていたという話)。頭の回転が速くて周りもよく見えていて他の部員とも仲がいい、と実際申し分ないスペックの持ち主だったと思うけれど、適当こいてちゃらけて先頭を走ってそれにみんながついてくる、という自分の手法とは違うやり方を後輩がやっているように見えた(そりゃそう)というのがそこはかとなく心配だった。
 もう一つ問題だったのは、私が自分の部員としての義務のひとつに「後輩の育成とサポート」を据えていたことだった。自分の代が上手くいけば成功というだけではなく、自分が引継ぎを行った次の代がよい評価を得ないと私は本当に部員として「上手くやった」とは言えない、と思っていた。逆に言えば、今のところ「まあまあいい部長だった」と言うことになっている自分の名誉を守るためには、なんとしても次代の後輩に「成功」してもらう必要がある、という認識だった。これにより爆誕したのが、現役の活動にこれでもかと口を出す元気で無自覚な老害である。暫くはこの元気な老害として部内に、特に当時の三役にちょっかいをかけていたのだが(陳謝である)、多分友人に指摘されたか何かで自分が老害ムーブをかましていることに気付いてそこから多少自制しだしたのだと思う。合宿は恐らくこの気付きの後に開催された。

「熱中症」

 実際大変に暑い日だったことはあるが、結論から言うと河原で活動中に「熱中症」になり、顧問の先生の車で最寄りの病院に搬送され点滴を打たれて戻った、というのが事の顛末だ。だが、実際には「熱中症」ではなかったのではないか、と思っている。これは未だにそう思っているというか、「熱中症だけ」ではなかっただろう、という気持ちはまだある。
 合宿のメインイベントのひとつに河原でのバーベキューがあった。宿泊しているキャンプ場から現地までは顧問がマイカーで輸送してくれるのだが、乗用車二台なので一発で全員は運べない。また食材は近所のスーパーで買い出すため、基本的に一台はこの買い出しの付き添い、もう一台が輸送に徹する、というかたちに近い。この年は確か河原に直行する組の先発隊として、私ともう二人の後輩とバーベキューの荷物が行ったものと記憶している。これを場所取りがてら河原に置き、全員の集合を待つ、というわけである。ちょうどいい木陰が見つからなかったため炎天下にブルーシートを敷き、荷物を置いた。目の前には川が流れている。後輩二人が入りたいというので、荷物見てるから行ってきな、と送り出した。確かに、ここから私は川にも入らず炎天下でじっと座るだけの時間を過ごしていた。
 川で遊ぶ後輩を遠くから眺めながら、そうかOGなんだな、という気持ちになったことを覚えている。引退してOGになったのだ、という実感が急にそこで湧いてきた。現役部員の中に交じってはしゃぐ必要はない。この後のバーベキューのセッティングも手伝う必要はなく、むしろ現役部員の仕事を奪わないように隅で大人しくしているのがいいのだな、ということに意識が向き、なるべく大人しくしておこう、と思った。「動かなくていい」と「動かない方がいい」の両方に気付いた。ここから、「頑張らなくていいんだな今年は」と思った。思ったらじわじわ眠くなってきた。
 この時の眠気が熱中症によるものかどうかはよく分からないが、当時の私には心当たりがあった。というのもこの合宿のもう一つの目的は流星群の観測で、前日も午前二時過ぎまで夜更かしをしていたという前提がある。よって眠いのは当たり前である、やることもなくぼんやり座っているだけなら猶更だ、という理解になる。前年までであればこの眠気を飛ばそうと様々に努力をしたものと思うが、この年は既に「頑張らなくていい」という事実に気付いているから頑張らなかった。眠いな、と思いながらぼんやり座っていた。
 やがて後発の部員や買い出し班が合流しバーベキューが始まったが、特に頑張らなかった。手伝いもせず、自分で動くこともない。まずは現役部員が満腹になることが優先だから、時々後輩が持ってくる分以外は遠慮しておこうと思った。ただ、何分よくできた後輩なので、皿が空いているとどんどん持ってきてくれてしまう。なるべくゆっくり食べることにした。眠くて食べるのが面倒くさかったこともある。傍から見れば「ぼんやりして立ち上がろうともせず食事の速度も緩慢な人」ができ上がった。恐らく顧問が見て異常と判断したのだと思う。大丈夫ですか、と後輩に聞かれて、大丈夫、とだけ答えた。眠いのは一緒に流星観測をしていた後輩たちも同じである。これを理由にするのは適切でないと思った。同時に、しゃべるのが面倒だとも感じた。頑張らなくていいと思っていたからそれ以上言わなかった。大丈夫だからほっといていいぞ、という思いで簡単に答えた。この端的な応答がますます周囲を心配させたが、私は既に「頑張らなくていいんだしなあ」を自分の芯に据えつつあった。なので頑張らなかった。部員たちの士気を高めるために率先して動くという役割は既に私のものではない、ということには気づけたのだが、その省エネ運用が後輩をめちゃくちゃに心配させる可能性があるということまでは気が回らなかった。
 ついにスポーツドリンクが進呈され、飲ませるようにという指示が顧問から後輩に下った。が、そもそも眠くて動くのが億劫なので進まない。涼しいところへということで顧問の車に乗せられ、横になるように指示されたので横になったが、この辺りでこれ大事になるんじゃねえかという気配を感じ始めた。早めに「いや大丈夫です」と申し出て戻してもらった方がいいんじゃないかという気もしてきたが、何分眠い。もうとにかく眠い。この眠気を飛ばして普段の自分と同じ振る舞いをし、周囲の心配を払拭するには一気にテンションを上げる必要があるが、私には「頑張らなくていい」という思考上の免罪符がある。先生は「しばらく休んどきな」という旨を私に言い渡して後輩とともにまた戻っていった。ということは多分しばらく休んだらまた合流できるだろうと思って呑気にうつらうつらしていた。が、予想外の事態になる。
 顧問が戻ってきて何か電話をかけているな、と思っていたら、そのまま普通に車が動き出した。
 相変わらず眠かったので起き上がりはしなかったしそのまま目を閉じていたが、内心大混乱だった。約束が違う、と思った。暫く休めと言ったじゃないか。暫く休んだらというか一眠りしたらマシになるから大丈夫だと思って大人しく従ったのになんで問答無用で走り出したんだ、そんなんじゃない、というかこれ緊急搬送ってやつか? 私緊急搬送されてるのか? なんで「病院行く?」って訊かなかったんだ先生私元気だぞ眠いけど、と横になって目を閉じたまま思った。とはいえ、これまで参加してきた合宿でこれほど眠気を感じたこともなかったので、熱中症「ではない」とは微妙に言いきれないかもしれない、との思いも少しはあった。それも考慮すると「自分ではわかってないけど実際熱中症」という可能性も浮上し、ここで自分が強く「元気です」と主張するのも違うのかもしれないとも思われた(なんならここで自分が思いっきり搬送されとけばエピソードとして残るし、後輩たちが熱中症に気をつけるためのいい教訓になるのでは、とも思ったりした、同様に熱中症になった先輩のエピソードが部には残っていたから)。結果、とにかく行き先が病院でないことを祈りながら横になっていた。
 一縷の希望として「宿泊先に戻される」という展開も期待したが、物の見事に病院の駐車場に着き、「歩ける?」と訊かれて頷いたもののがっつり腕を取られて支えられながら歩いた。いや歩けるって、と思った。ほぼ寝起きなので足取りはぽやぽやしていたかもしれないが実際全然歩けた。受付でも「名前書けるか?」と顧問に言われたが全然書けた。こいつは大変なことになった、と思いながら、でも一応熱中症かもしれないからここは他者の判断を信じようという思いで順番を待ち、診察室(というより病室?)のベッドに寝かされた。蛍光灯があまりに眩しくて目を開けていられなかったのを覚えている。
 この時、私は川遊びをすることを考えて水着を着ていた。ビキニ型の本体の上に短いジーパンと申し訳程度に袖のある上着がセットのもので、その上からバスタオルを羽織った状態で車に乗り込んでいた。が、このベッドに横になったタイミングでタオルが顧問に回収された。前の記録に書いた通り、当時の私は自傷行為を始めて二年以上経過しており、且つまだ頻度がそこまで下がっていなかった時期にある。こうなると腕と脚の自傷痕が丸見えである。恥ずかしい、と思った。ほとんど腕が剥き出しになる服を自分で着ておいて恥ずかしいも何もあるのかということではあるが、まあこの時は恥ずかしいと思った。恥ずかしい、の上に情けなさみたいなものも生じた。自分は一体何をやっているのだろうと思った。ここへ来て急に頭がいっぱいいっぱいになって、光を遮ろうと目の前に腕を乗せたところでああ自分は本当に全部間違えたな、と思って突如涙が溢れてきた。必死に堪えた。
 お医者さんと看護師さんが入ってきて、多分体温とかの確認をしたのだと思うが、そのお医者さんがまあ軽度の熱中症でしょうみたいなことを言った後で「というよりどちらかというとメンタルの……」と言ったのを聞いた。これだけは本当によく覚えている。どういうベクトルで刺さったのかははっきりしないが、とんでもなく衝撃を受けた。耐え切れなくなって泣いた。自傷行為までしているのにこのザマかよ、と。

眠気覚まし概念

 そもそも自傷行為をしていた理由というものがここに関わってくる。要するに、かなり端的に言えば自傷行為の目的はある種の「眠気覚まし」だった、ということだ。当時はメタ的にそれを認識できていたわけではないけど、最近はそのように推測している。
 ここで言う「眠気覚まし」は勿論字義通りの意味ではなく(少しは字義通りな時もあったけれど)、もう少し概念的なものになる。何かをしたいのに眠気が邪魔をして集中できない時、眠気覚ましが必要になる。それと同じ構図で、「何かをしたいのに別の何かにリソースが割かれていて集中できない時、それを追いやって思考をクリアにする」ための行為として、自傷があった。当時は通学時間が長く慢性的に睡眠が削られる状態だったというのもそうだが、それ以外にも何かいらつくことがあるとか、不快感があるとか、そういったことで気が散る状態というのは往々にしてある。それを、傷の痛みで上書きして集中できる状態に持っていく、というのがひとつの目的だったわけだ。ニュアンス的に言えば、「コーヒーも飲んじゃったことだしその分夜更かしして勉強しよう」と「腕も切っちゃったことだしその分頑張って生きよう」は構造として近しいように感じる。こういった目的も自傷行為の中には含まれていた。

 流石に合宿当日に生傷を抱えていたということはないと思うが、それまでにつけた傷跡の群れは間違いなく存在していたし、あの頃の傾向的に直近数日の間には切っていたのではないかと思う。コーヒーは飲んであったわけだ。だというのに頑張れなかった。それに対する感想が「自傷行為までしているのにこのザマかよ」だったのではないかと思う。自傷をしてすらまともに頑張れないという自分のだらしなさに大いに失望し、まただらしなさを晒している張本人として泣くほど恥じた。点滴を打たれながらひたすら心の中で「ごめんなさい」を繰り返した。ごめんなさい、熱中症じゃありません、ちゃんと頑張れます、もう間違えません、だから早くみんなのところに帰してください、というのを頭の中で叫びながら声出そうになるくらい泣いた。途中で顧問が「一応親御さんに連絡入れるから番号教えて」という話をしてきた時にもぼろぼろ泣きつつ歯を食いしばりながら対応したが、見ないふりをしてくれた。正直助かった。
 あまりにも延々泣いていたものだから、途中で様子を見に来た看護師さんに「せっかく点滴で水分入れてるんだから泣かないの」と苦笑気味に諭されたのを覚えている。それもそうだ、と思ってそこから少し冷静になった。冷静になってしまえば結構面白い状況だなという気もしてきて、実は人生初だった点滴をじっくり観察したりしてのんびり過ごした。僅かながら睡眠もとれたような記憶がある。あと途中からとんでもない尿意に襲われてはあこれが点滴というものかと思うなどした。人体の水分というものはままならない。
 というわけで、水分を入れながら出すだけの時間を過ごした後これで大丈夫だろうということになり、また顧問の車で宿泊先に戻してもらえることになった。とにかく一時間近く派手に泣いた後なので疲れ切っていたが、宿泊先に戻るまでにはいつもの「先輩」に戻らなければならないとも思った。この合宿の場において「頑張らなかった」ことが引き起こした惨事は経験済みだ。だが、正直喋る気力も尽きかけているくらい疲弊していた。車の中ではこのまま省エネにしておいて宿泊先が近くなったらスイッチを入れようと思ったのだが、ここで顧問から「誰か後輩に連絡を入れてくれ」という旨の指示を受けた。「あいつらも心配してるよ」と穏やかに言われたのを覚えている。一瞬素で行くか迷ったが、通話ボタンを押した時には腹が決まっていた。
「よう! 今どんな感じ? おかげさまで超元気、ご心配おかけしました。てか点滴って初めてだったんだけどあんなめっちゃトイレ行きたくなんのね! ホントに水分補給できたのか心配になるんだけど!」
 とかなんとか、大いにちゃらけておいた。最初はかなり心配そうだった後輩の声が通話の向こうで笑ったのが聞こえたので、ああ大丈夫だ「先輩」やれてるわ、と思った。通話を切ったところで顧問が「えらい元気そうじゃない」と苦笑気味に言ったのでどきっとした。上手く出来たんだなとも思ったし、この人も気付いてはくれないのだな、とも思った。安堵と同時にどこか、自分はこの先もずっとこれをやっていくんだ、というやや沈鬱なものも感じていた。
 自分にも同じ年頃の娘がいるからお前に何かあるとやはり心配だ、というような話を先生がしていた気がする。当時は熱中症の話をしていたのだと思っていたけど、思えば多分これは自傷行為に対する感想でもあったのだろう。宿泊先に着いて同室の後輩に再会し、心配そうな面々の前で元気に「先輩」をやった。勿論その後は手を抜くことはなかった。そのようにして、この年の合宿は無事に終わった。

振り返りと余談

 以上が事の次第だ。これを時々思い出す。特に病院のベッドで点滴を打たれている時の「熱中症じゃないしもう間違えないし頑張るからみんなのところに戻して」という、あの感覚はまだかなり生々しく思い出せる。誰も悪くはなかったけど嫌な出来事だった。
 これは今もまだ残っている信念ではあるけれど、部活というひとつのコミュニティに所属するにあたって、そのコミュニティには最大限の貢献をしなければならない、というような感覚がどこかにあった。先輩も後輩も、コミュニティのメンバーが自分に様々な恩恵を与えてくれるなら、こちらも同じだけのものをコミュニティに対して返していかなければならない、というように。これは同時に、自分に恩恵を与えてくれるこのコミュニティにとって自分の存在がマイナスになるようなことはあってはならない、という感覚でもあった。部員として恥ずかしくない振る舞いを、というわけだ。
 あの時の眠気とか、ぼんやりする感じとか、そういったものを当時の私が頑なに「熱中症ではない」と信じていたのは、もしかするとそういうところによるものだったかもしれないと思う。熱中症になることで合宿の参加者全体に迷惑がかかることになるなら、それを回避するための努力は最低限のものとしてしなければならない。自分は確かにバーベキューの手伝いもしなかったし、元気いっぱいにもりもり食べたりもしなかった。でも、それは現役部員だった頃に心がけていたサービス的な上乗せ部分の「頑張り」を一旦オフにしたというだけであって、他の参加者に迷惑をかけないという最低限の「頑張り」をオフにしたわけではないのだ、熱中症になっていないことはその最低限しなくてはならない努力を(一部分ではあるが)怠っていないことの証拠になる、という論理だ。いずれにせよ迷惑そのものはばっちりかけたのでどっちだろうと関係ないが、点滴中に「熱中症じゃないんです」と心の中で叫んでいたのは、その最低限の頑張りはちゃんとできるのだという主張だったのかもしれない。合宿という場に参加するための最低限のことはできる、もう手を抜いたりしない、だから戻してくれ、という内訳だった可能性がある。

 余談になるが、一年ほど前に知人たちとホテルを取ってオールで飲んでいた時、一緒に飲んでいた面々がみんな眠ってしまったのにひとり寝付けず、声を殺して泣きながら残っていた赤ワインを必死に飲み干すという謎のイベントが発生したことがある。誰かが酔っ払って必要以上に持って来たらしい無料サービスの不味い(本当にシンプルに不味い)赤ワインを、「場に貢献しない人間は存在する価値がない」と脳内で繰り返しながら死に物狂いで飲んでいた。今なら分かる。飲み残しが嫌なら流しにそっとリリースすればいいだけの話だ。だが、その飲み会のメンバーとして自分が選出された理由のひとつには「比較的酒に強い人間だから」というのがあるのではないか、という思いがどこかにあった。例えば酒に弱い人が気になる酒をひと口舐めてみたいと思った時、ひと口飲んだその残りを安心して託せる相手というのが私のポジションだ、それを期待されているのだ、というような謎の使命感が生じた結果、その裏返しとして「この程度の酒も飲み干せないならみんなの期待を裏切ることになる、失望させてしまう」というトンチキな恐怖心が膨らんだのだと思う。
 実際そこまで弱くはないと言いつつ同時にザルというわけでは決してないのだけど、飲み会になるとどうしても「飲める人」の立ち回りを期待されているという気になってしまい、あれもこれもと飲み過ぎて翌日ひどいことになりがちだ。これも合宿の件同様「他人からの期待を想定することにおける不具合」と「寝不足」がもたらした事故で、自分はこの手の事故を結構起こしやすいのかなと見ていて思う。なおお察しかもしれないがこの酒に関する二段落分の文章はオール明けに二日酔いの余韻の中で書いている。人間は十一時間ぶっ通しで酒を飲んではいけないし、チェイサーはちゃんと飲んだ方がいいし、何よりしっかり寝た方がいい。
 と、書いていて思ったけど、お酒も機能的には一種の「眠気覚まし」なのかもしれない。飲むとぽやぽやするという点では一見真逆だけれど、空気を読んだり気を配ったりというところにリソースが行かないようにして、その場をめいっぱい楽しむという行為に集中できるようにする、と書くと構造的には同じになる。お酒の自傷的な側面が好きだから酒を飲むのが好き、ということだとしたらなんだか随分と成長がないなと思う。より一般的だけどより健康に悪い自傷に乗り換えてしまったのかもしれない。

 以上、多分高三の時の合宿の思い出とその周辺について書いた。

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