「2050年までにW杯優勝」というビジョンの妥当性について
先日、こういった記事を読みました。あまりこうしたものを引用しないのですが、非常に興味深かったので、以下に紹介します。
元々は、JFAが掲げた目標である「2050年までにW杯優勝」というのは、正式には、以下の通りのようです。
「自国開催」という条件がついているところがありますが、基本的には、「優勝を目指していく」ことを目指すことに変わりはないでしょう。ただ、メディアで、この条件を除外して報道されることには、違和感を覚えます。
さて、私も一介のサラリーマンですから、企業の「三ヵ年計画」や、「中期経営計画」といったものを目にします。これをもとに、各社員の目標が設定されるわけです。私のいる企業はそれなりに規模が大きいので、この「会社の目標」と、「個人の目標」との間に、ギャップが生じやすいと考えています。つまり、「私がどれだけ頑張ったところで業績に寄与しないしな」という諦めに近い自己放任が起こりやすくなるでしょう。
一方で、一般企業は、ステークホルダを持っている場合が多いでしょう。彼らからしたら、会社の評価は、この目標達成具合になります。したがって、達成できない場合には、何らかのアクションが行われることは必須です。
しかし、JFAは、公益財団法人であり、こうした「利益に対する評価」という、ある種物欲に塗れた見方からは離れたところにあるはずです。
そう考えていたところに、この遠藤の記事が出ました。そこで、私は、JFAが意図しているいないに関わらず、このビジョンが「妥当であった」と判断しました。
それは、上記に書いた、「トップと一般社員とのギャップ」を埋める作業を「選手自らがすることができたから」です。一般企業において、管理職でもない人間がこのギャップを埋めるように働きかけることはまずないでしょう。
もちろん、遠藤はキャプテンであり、ある意味では管理職的な役割だったかもしれません。しかし、彼もあくまでもプレーヤですから、やはり、一般社員的立ち位置と見ても良いのではないでしょうか。
彼のスピーチは、複数の選手たちの意見を吸い上げて、最終的には自分で決めた、と読めました。そのため、遠藤のような「一般社員」が、複数いたことになります。これも、一般企業とは大きく異なるでしょう。日本代表という、選択された場所にいる選手たちだからこそなのかもしれませんが、それでも、彼らがJFAの目標の元に自分たちの行動を選択するようになるのは、非常に大きいことです。
このことにより、過去にも聞かれていた「W杯優勝」という言葉が、「言葉だけのものではない」ことがわかります。おそらく、過去の選手たちもそうだったのでしょうが、いかんせん、私たちの元に来る情報が少なすぎました。フラッシュインタビューでの言葉が虚しく響く、くらいにしか感じられなかったのは、私の不徳の致すところかなと反省しています。
個人的には、一般企業の目標も、JFAのものも、成長し続けることが大前提となっています。私は、「成長し続けること」は不可能と思っています。そのため、「今年は頑張って現状維持する」という本音を、「成長」という言葉で隠しているようにしか思えないこともしばしばです。
私は、「プロセス重視」派です。そのため、たとえ優勝できなかったとしても、その間の動きさえ妥当であれば、問題ないと考えます。おそらく、経営者には向かないのでしょう。ただ、結果を守ります、と言い続けてくる集団に対しては、結果に対するフィードバックを求めたくなります。政治がそうですね。
なので、メディアも、ファンも、是非一度、プロセスに注目して、これから見ていってほしいな、と思います。
プロセスの一端が垣間見れたので、私としては、このJFAの目標も、妥当であると考えます。
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