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【自分次第で未来は変えられる】を教えてくれたのは、元夫の不祥事でした ①元夫の自供

「ちょっと、お話があるんですけど」

見たことがないほどの神妙な面持ちの夫から、なぜか丁寧な言葉でそう話しかけられたのは18年前。もうすぐ1年が終わろうとしている、12月30日の夜21時頃のこと。当時6歳の長男と、3歳の長女を寝かしつけた直後でした。

 夫とは、学生時代にテニスサークルの先輩と後輩として出会いました。
夫が先輩、私が後輩です。なので、私が使うことはあっても、夫が私に丁寧な言葉で話しかけてくることなど、今までにないことでした。

短大生だった私と2学年先輩だった夫は、同じ年に卒業をし、同じ年に社会人になりました。このタイミングで、東京と大阪での遠距離恋愛が始まりました。

夫は東京に配属。私は地元である大阪に配属。離れたところで暮らす社会人になってからは頻繁に会うわけでもなく、まとまったお休みが取れる、年に数回の夫の帰省時に会うのみ。当時テレビCMで話題になっていたシンデレラエクスプレスのように、最終新幹線で帰る彼を涙で見送ることもない、一見あっさりしたお付き合いを3年続けた後。

「そろそろ結婚しよか」
「そうですね」

これまたあっさり結婚を決めたふたり。
私はここでサクッと、腰かけていた会社を辞めました。

結婚することを共通の友人であるサークルの仲間たちに報告したときは、こちらが驚くほどの勢いで驚かれました。
「え! まだ付き合ってたの?」

周りからは、お互い結婚しようと思うほどラブラブには見えなかったのでしょう。もちろん、本人たちはラブラブなつもりだったと思います。確かそのはず。

 23歳で結婚したミーハーな私は、憧れの街、東京へ引っ越せたことが嬉しくてたまりませんでした。芸能人に会えるかも! 田舎者ならではの期待をしていたのに、自宅の電話番号は、市外局番0423。なんで? 03のつもりで引っ越してきたのに。それでも、東京ディズニーランドで働きたい! という夢を叶えることもできて(通勤1時間30分。なんで?)毎日とても楽しく過ごしていました。

 芸能人に会うこともなく、標準語が話せるようにもならないまま、1年足らずで夫の転勤が決まり、京都へお引越しをすることになりました。そこで長男、長女が生まれました。周りからはラブラブに見えなかった私たちですが、これが私の家族なのだ…と。じわじわと時間をかけて実感できるようになってきたのがこの頃だったと思います。

 私は、父親の顔を知らずに育ちました。私が2歳の時に両親が離婚をしたそうで、それ以来父親に会うことがなかったからです。何も知らない小さな私は、母にお願いしたことがあります。

「妹か弟がほしい」
「無理」
「どうして?」
「あんたは淀川の橋の下で拾ってきた子だから。段ボール箱生まれやで」

このひどい言葉、一昔前の大阪あるある。こんなことで傷ついていたら、大阪で子どもをやっていけない時代だったと思います。ここは、「笑い飛ばす」のが昭和の大阪の子どもの正しいリアクションだと思って、そうしていました。本当は、言われるたびに悲しい気持ちになり、母のことを嫌いになっていったのに。

淀川の橋の下で拾われたから妹弟を望んでも無理です。どう考えてもイコールにはならないのに、この日以来、お姉ちゃんになりたい願望を母に話すことはありませんでした。相手の顔色をうかがって、言いたいことが言えない。そんな自分の最初の記憶です。

 私がシンデレラエクスプレスできなかったのも、その性格が災いしていたからだと思います。母が厳しく、最終新幹線を見送る時間に家にいないことなど許されなかった学生時代。

「今日だけ帰りが遅くなってもいい?」

たったこれだけの自分の希望が言えなかったから。
短大生で門限18時。箱入り娘です。淀川の橋の下で拾われたときからの箱入り… ここは笑っていただきたいところです。

父親もおらず一人っ子。寂しいと思う機会が多かった私は、人一倍、家族というものへの憧れを強く持っていたように思います。優しいお母さん(私のことです)がいて、お父さんがいて、お兄ちゃんがいて妹がいて。自分の子ども時代を思い出して、それと比べては、我が子のことを羨ましく思っていました。
おかしな感覚ですね。

京都では賃貸マンションで暮らしながら、長男の小学校入学、長女の幼稚園入園に合わせて引っ越せるよう、大阪に家を建ててもらっていました。東京→京都→大阪。私の三都物語。怖い! と思ってしまうほど幸せでした。

そんな中、また夫の転勤が決まりました。転勤先は名古屋。大阪に引っ越すことが決まっていたので、私と子どもたちは京都に残ることにして、夫だけ名古屋に引っ越してもらいました。単身赴任というやつです。

名古屋へ引っ越して半年もしないうちに、私は夫に対して違和感を覚えるようになりました。浮気しているな…と。女の勘、でございます。これ、だいたい当たるんですよね。

この疑惑、私は夫に話さないことにしました。一人で名古屋へ行かせた私にも責任があると思ったからです。それに、やめてと言ってやめるものでもなさそうだな、とも思って。何より私は、相手の顔色をうかがうことを優先して、言いたいことが言えないまま大人になったのでした。夫のご機嫌を損ねるようなことは言えない。そのうち家族の元へ帰ってきてくれればそれで良い。と、見て見ぬふりをすると決めたのです。でもこれは、私の判断ミスその1でした。

単身赴任から8か月たった年末に、夫からこう切り出されたのです。
「ちょっと、お話があるんですけど」

それは、私にとって良い話ではない。夫の顔には、太い黒マジックでそう書かれているように、私には見えました。

「楽しみにしてるドラマの最終回があるんだけど、その話、明日じゃダメ?」

当時、再放送されていた韓国ドラマ【冬のソナタ】にどハマりしていることを言い訳に、良くない話を先延ばしにしたかった私に。「すぐ終わるから」

夫は私の目の前で正座をして、話す体勢に入ります。椅子があるのに正座… どうやらこれはヤバいやつだ。テレビをつけて(そこでテレビをつけるな! と、あの時の私に言いたい)チャンネルを冬ソナに合わせ、私も夫の正面に正座。すぐさま夫は私の目を正面から見て、こう言いました。

「どうしても、結婚したい人ができた」

                       つづく

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