太陽の法 で読む人類史の栄枯盛衰

この『太陽の法』も限り無く神秘的な書物である。

「常識」で理解しようとせず、あなたの 「常識」を、本書によって入れ替えていただきたいのである。


前書きのなかの一文です。

世界史の歴史で学んだ

メソポタミア文明
エジプト文明
インダス文明
黄河文明

という四大文明ですが、
手塚治原作のアニメ
海のトリトンを見ていた 私は アトランティス文明などの もっと古い文明があったのではないかと 漠然と思っていました。

プラトンが 言及していますね。
しかし、人類にはそれよりも
 もっと古く長い長い歴史があり 文明の栄枯盛衰があったことを

 太陽の法 5章では 告げられています。

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現代は、まさしく、時代の端境期です。端境期には、古い多くのものが滅びてゆき、新しい多くのことが勃興してきます。ですから、新時代の芽は、すでに、現在ただいまのなかにあるのです。そして、それらのことを現代の人々に伝えていくのが、同時代の預言者の使命でもあります。

人類は、いまからおよそ一万年前の、アトランティス大陸沈没の際に、旧文明が滅んでゆくのをまのあたりにしました。

ひとつのおわりは、ひとつのはじまりを意味します。そして、新文明が、やがてエジプトの地を中心としてひらけてきたのです。この文明は、約一万年のあいだつづきました。しかし、それも、この20世紀の末をもってひとまず終止符がうたれるのです。
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このように 太陽の法の 第5章には説かれおり

過去の文明を遡り 鳥瞰しています。

ガーナ文明
ミュートラム文明
ラムディア文明
ムー文明
アトランティス文明
このような過去の文明が語られますが それでも人類の歴史のごく一部のようなのです。
その過去の文明の時間をも 私たちの魂は 生きて通りすぎてきているようです。

ラムディア文明は 「感性」を

直近のアトランティス文明は 「理性」を

現代の文明は 「知性」の時代であったようです。

15万あまり前の地軸変動では 温暖であったミュートラムが寒冷となり、地上に住む人類と生物のほとんどが死滅する時代があったようで、南極の氷のなかには古い文明の遺産がたくさん遺っているようです。

この章には次のようにあります。
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たとえどのような大混乱が起ころうとも、それは、この世の終わりではないということです。かつての文明にもそうした事態はあり、世の終わりかと思われたこともありましたが、人類は、必ずまた、新しい希望の楽園を、そして、光に満ちた文明を築いてきたのです。

人間に転生輪廻があるように、人類全体として見た場合の文明にも、転生輪廻があります。生と死があるということです。つまり、地球の文明は循環文明なのです。ですから、「ひとつのおわりは、ひとつのはじまりである」と、この言葉を、しっかりと知っていただきたいと思います。

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ひとつのおわりは 、ひとつのはじまりである


旧文明が滅んで行く現場にいると 悲しいことに思えますが

秋になり木の葉が散って 植物たちが枯れていく冬を迎えても 春はやって来ます。
新しい芽が土を破って出てくる姿と 新緑が輝く初夏が巡ってくる。

新しく生まれてくるものは必ずあるのです。

四季に恵まれて 生命の移り変わりを身近に感じることも多い日本人にとって こうした文明の転生というものも ぼんやりとではあっても理解できるものかもしれません。

新しい文明とは 一体 どのような文明になっていくのでしょうか。

次に第6章のエル・カンターレへの道の最初を読んでみます。


目をひらけ

という一節から 抜粋すると
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みなさん、あなたがたは、一回や二回、地上に生まれてきたような存在ではないのです。

あなたがた自身の魂の奥にある記憶の宝庫のなかには、過去、何十、何百の文明に生まれかわった記憶が厳としてあります。霊能をもった特殊な人だけにあるのではありません。それは、すべての人に、平等に与えられている、魂の記憶なのです。しかし、人間は、永遠の転生輪廻の過程でつちかったそうした英知を、肉体に宿ったという、ただそれだけの事実で忘れてしまったのです。


わずか、十年や二十年の学校教育で受けた知識をもって、世界のすべてがわかったなどと思ったら、とんでもないまちがいなのです。

ほんとうの自分に出会うとは、どういうことでしょうか。それは、すなわち、魂の真実に気づくことです。そして、魂の真実に気づくためには、自らの心を徹底的に探究しなければなりません。

自らを知るとは、自らが仏の子であることを知るということです。仏の御心を知るということなのです。そして、目をひらくとは、自らの霊性に気づき、四次元以降の実在界の存在に対して心をひらくということなのです。

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自らの心を徹底的に探究する


自らが仏の子であるということを知る


これが 大切なのは  わかりました。

では どうやって  というのが 次々に説かれる説法によって明らかになってきます。

仏の子であるというのは 神の子であるということと同じ意味だと捉えてもいいのでしょう。

現状 そのように思えなくても、私たちの本質は 神仏からわかれでた 尊い存在であることを知ること
そして

 どのような人にも その尊さが内に宿っていることを 信じることも大切なのだと思います。

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