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「服の乱れは心の乱れ」だと言うのなら

あ!!!

服が乱れている!
言葉が乱れている!
髪型が髪色が乱れている!

これは心が乱れている現れに違いない!

だからまずは、

服装を整えて
丁寧な言葉を使って
髪型髪色をそれらしくしよう

そうしたら心の乱れはなくなり落ち着くのだ!!


…なんてね。

たくさんの共感は得られないかもしれないし、自分たちのやっていることが否定されて嫌な気持ちになる人もいると思うけれど、、

僕はこの考えが、どうにもに受け入れられません。

ええ、もう、これはどうにもこうにもなのです。

心がドヨーンとします。

もう、ドヨヨヨーーーーーーンです。

「服も髪もきちっとしましょう」
「きれいな言葉を使いましょう」

そう指導したい人の「(わたしもあなたも周りも)心がシャンとするから実践してほしい」という類いの希望が、わからないわけではありません。

普段着ないパリッとした洋服や和服を着ると心もそれらしく凛としたりします。

きちんとメイクや髪の毛をセットすれば自分自身がご機嫌になったり、ワクワクしてくることもあります。そのことで人に優しくなったりもするかもしれません。

だけれど重要なのは、
きれいな身なり、きれいな言葉を使えているから心が穏やかで健康的なのか?乱れていないのか?ということです。


戦時中、731部隊の軍医たちはエリート中のエリートらしく身なりもとびきりきちんとしていました。しかしやっていたことは非道な人体実験です。

戦後高度経済成長で必死に働いた日本の大企業サラリーマンたちは平然と東南アジアに少女たちを買いに行きました。もちろん身なりはきちんとしていました。

…… 。

「服の乱れは心の乱れだ」というのなら、逆も同じように言えないとおかしいぞ!!
「服装や髪や言葉が乱れていない人は心も乱れていない」なんて絶対言えないはずだ!!

と、僕は思っています。
(本当は最後に「こんにゃろー!」もついています。)

歴史上のあんな人や身近なこんな人を見てみた時に、すぐこのことに気が付かされるし、やはり服や髪、言葉だけで終わってしまう指導がとても悲しくなります。

ではでは、
子どもたちに、身なりの変化、言葉の変化があった時どうするか。
変化を「正して」見えなくするのか。変化を観察して背景を探りながら付き合うのか。いやいや、違う方法か…。

んー、でもやっぱり、乱れを見えなくするだけでは重大な変化も見過ごしてしまうかも…と思います。


あ、最後にコワイ話。
制服や髪型には、「心までコントロールできていると思わせてしまう不思議な魔力」があるようなので、みなさま気をつけましょうね…

おほほほほ。
こわいこわい。


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