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「責任」を「信頼」で理解する。

前回、「説明責任」を止めて、「納得責任」とすべきだ、と提案してみました。
それでは、そもそも「責任」とは、どのような意味か、納得できるように説明しておくことは、とても大切な時代になってきました。

というのも、最近流行(はやり)の「CSR(シー・エス・アール)」という言葉がありますね。
おそらくこの言葉を耳にしたことがない人は、少なくなってきたはずです。
日本語に訳すと「企業の社会的責任」が一般的でしょう。
CSRのRは「responsibility」ですから、「責任」という部分が肝心要であることは確かですね。

これは何でも同じですが、「分かったような気になること」は、とても危険です。
時間や労力を浪費します。
「腑に落ちる」という表現がありますが、まさに腑に落ちるレベルにまでしておくことは、価値のある努力だと信じています。

さて、「責任」ですが、日本語でのこの言葉の使い方は、2つあります。
ひとつは「責任を果たす」、
もうひとつは「責任を取る」という使い方です。

「責任を果たす」というのは「何か悪いことが生じることがないように予め注意・努力をし続ける」こと、
そして「責任を取る」というのは「なに変わることが生じた場合に事後的に償(つぐな)う」こと、
このように、二つの使い方をしています。
つまり、「悪いこと」たとえば違法行為や不祥事、事故や犯罪を想定していますから、「誰かが迷惑を被る」ことを「回避する」こと、あるいは回避できない場合に「償うこと」が、「責任」という言葉に課せられた役割です。

次に「責任」という言葉そのもの、これを具体的にイメージして腑に落ちるためには、補助線が必要です。
補助線とは、つまり数学の図形の問題を証明するときに使うとても便利な道具(手法)ですね。
この場合の補助線は「信頼」という言葉です。

「責任」という言葉を「単独で」腑に落ちさせることはとても難しいのですが、「信頼」という言葉とセットにしてあげると、腑に落ちます。
その理由は、「信頼」は誰でも実感しやすいからです。

我々は皆、常に多くの信頼をしています。
たとえば、朝起きて「蛇口から水が出る」「スイッチを押せば電気が点く」「電車やバスが時間通りに来る」「コンビニが開いている」「青信号で横断歩道を渡れば轢(ひ)かれない(安全に渡れる)」「買ったパンを食べても死なない」などなど、数え切れない「信頼」をしています。
むしろ我々は「膨大な数の信頼をせざるを得ない社会・時代に生きている」といえるでしょう。
ここで肝心なのは、「信頼」は誰でも実感できる、ということです。
「責任」は、単独では納得できにくいですが、「信頼」は誰でも実感できるので、この二つの言葉「信頼」と「責任」の関係を示せば、「責任」をイメージできます。

さて、「信頼」することは実感できますが、ここで「(あなたから)信頼された相手方」を想像してみましょう。
「蛇口の水」であれば「水道局」、「スイッチの電気」であれば「電力会社」、「電車やバス」であれば「鉄道会社やバス会社」、「コンビニ」、「運転手と自動車メーカー」、「パンメーカー」が、「信頼された相手方」です。

「責任」とは、「相手方(企業や専門家など)が『あなたからされた信頼』を裏切らないように、事前に行う努力であり、裏切ってしまったら事後に償うこと」です。
つまり、「信頼」と「責任」はコインの裏表であり、誇張していえば「誰からも何の信頼もされていない人には責任は生じない」ということです。
もちろん、誰からも何の信頼もされていない人は存在しませんので、誰にも一定の責任は生じます。たとえば、法律を守ることなどですね。

話を戻して、「信頼された相手方」から、「された信頼を裏切らない」ように、専門家としてのノウハウや知恵を駆使して裏切る危険性を回避していく努力を維持・継続していくことが、「責任を果たす」ことです。
これは決して簡単なことではありません。
「安全な飲み水を大量に確保すること」「時間通りに電車を運転すること」、それぞれを乱す数多くの事態、事故、事件などは絶えず降りかかってきますし、社会状況の変化や天災などもいわゆるリスクとなり得ます。
ですから、頑張っていても、結果として「責任を果たせない」事態つまり「信頼を裏切る」事態に陥ることもあり得ます。

もし「信頼を裏切ってしまった」場合は、「責任を取る」のです。
責任の取り方は、不良品の交換・修理(いわゆるリコール)、原状回復、弁償・慰謝料支払、といった補償行為や、場合によっては、辞職・辞任・退場(倒産)といったことにもつながる事態につながります。

最も罪深いのは、「責任を果たせない(信頼を裏切った)」うえに、「責任も取らない・取れない」状況です。
これを「無責任」といいます。
いわばレッドカードであり、本来は法によって罰するべきであり、退場を余儀なくされる最悪の状況といえるでしょう。
仮にこの「無責任」が横行すれば、この世の中は「疑心暗鬼社会」になってしまい、何も信頼できず、何に対しても心配する必要がある、誰もが疲弊し不安から免れない社会に陥ります。
これは絶対に回避しなければなりません。

また、「誰がどのような信頼をしているか」、必ずしも当たり前のように把握されているとは限りません。
たとえば、「密閉された部屋でガス機器を長時間使用すること」などは一酸化炭素中毒の危険がありますが、その知識がない人は「換気しなくても大丈夫」という「誤った信頼」をしている可能性もあるからです。
このような「誤った信頼」をしないように、信頼される側(企業や専門家)は予め警鐘を鳴らすことも「責任」と一つです。

さらに、誇大な信頼をさせてはいけません。
「守れっこない(裏切る可能性のある)信頼」を企業の側が誇大広告(あるいは明らかな虚偽)などで流布することは許されません。
モノによっては法によって規制されています。

企業や組織がCSRという活動を実践するには、まずは、この「責任」の意味を踏まえておく必要があります。
「責任」を漠然とさせたままで、CSRの実践はスタートラインにすら着けません。
それでは、CSRとはどのような意味なのか、まやかしのCSRにならないためのポイントは何か、それは次回に。(*^_^*)

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