抑うつが蓄積して今に至る(抑うつ調書)

1.生い立ちと水泳との出会い
小学校の1年生の時から漢字が読めて、国語に関してはまぁまぁだったが、算数(数学)がすごく苦手だったのと体育もどっちかと言えばドン臭い方だし水泳も嫌々してたが、高校になって体育の時間の水泳でFr(自由形、一般的にはクロールを指す)がうまく泳げた。コレが動機となったか社会人になってから俄かに水泳を始めた。
最初は短水路(25mプール)で片道➡往復➡1Br(平泳ぎ100m)。そして大阪市港区にある大阪プールにて初めて長水路(50m公式プール)でBr2000mまで泳げた。その後俄かに泳いでいたらとあるTwitterのフォロワーさんから水泳アニメであるFree!(おおじこうじ原作・京都アニメーション制作)を知り遅ればせながらネット配信の番組を観ることに。そこから男性ながらFree!にどっぷりハマった感じで今住むうちの部屋にはFree!関連のポスターが所狭しと。
2.第一のトラウマ
話が逸れたが実は、中学校から当時で言う心身症を患ってたみたいで、当時中学から高校へ進学は個人の学力に相応したところへ進学するのがセオリーであるが、自分の通っていた学校は「地元集中受験運動」にどっぷりハマり
その頃中学1年生の時に父親が高校受験の教材を割賦で購入。セールスに来た人からは「門真高校※を目指して頑張って欲しい」と言われてそれなりに勉強をしていたが三年生の時その中学校を仕切っていた女性体育教師(Hと略)が担任となったクラスになり、初めの1学期や2学期の半ばまでHには仮面を被っていた。ところが三者面談でHとの確執でコレが今の時代なら間違いなくHは教師という資格をはく奪されるまでに至るだろうが、時代は昭和
体罰は当たり前。何かと槍玉に上げられ殴る蹴る仕舞には洗脳された同級に校舎4階から突き落とされそうに(つまり殺され掛けられた)トラウマが今でも続いている。

3.第二のトラウマ
それから時代が平成に入りバブル真っただ中で大阪市住吉区に店を構えていた(現在は廃業)賃貸専門の不動産会社に転職。ココが実は社長が結構カッコいい言い方をすればイケイケ、悪く言えばブラックの極みで、正月以外休暇も殆どなく24時間以上店で缶詰め状態。コレが第二のトラウマ。流石に生きる気力さえ失い希死念慮さえあってこのまま大和川の河口か木津川の河口で飛び込んで死んでしまおうかと考えたこともあった。でも自分を懇意にしていた社員に「このままだったら死ぬぞ!いっそ飛んだ方がいい!」と説得され会社から支給された携帯と別に自分用の携帯を購入そして2001年未明に住み慣れた住吉を後に一旦東京に行ったが気が変わり青春18きっぷを大事に持ちながらあちこち彷徨い。滋賀の伯父宅に。

4.第三のトラウマ
そこから門真で10年間暮らし、此花区に引っ越し抑うつを抑えて派遣の仕事や郵便局の仕事に従事したがパワハラなどでとうとう抑うつ状態が顕著になり休職から退職に至ったわけである。現在も抑うつ状態に高血圧・基礎疾患の免疫不全障碍で手帳を二冊所持する状態。精神的に不安定状態が今でも続いている。
※旧大阪府立門真高等学校(2001年大阪府立門真南高等学校と合併し校地は門真高等学校を活用)現在は大阪府立門真なみはや高等学校と名称変更されている。
                     2023年5月30日筆
                        坂本豆廼丞


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