池田大作の死と創価学会と自分の関係2
池田大作の死については先の記事で述べたが、自分がその創価学会に2度入退会している。
それは高校生時代、クラスメイトTによって創価学会と言うのに初めて接した。何故かどうかはわからないが創価学会の高等部・男子部には俗にいう
「イケメン」が多い。しかも当時高度経済成長期に人口増加した大阪府北東部。そもそも創価学会がが本格的活動を始めたのは大阪市西成区花園地域、五軒に一軒は創価学会員の家庭。当時は未だ宗門(日蓮正宗)との軋轢は表ざたにされておらず、その家庭には必ず大石寺(静岡県富士宮市)の鳥観図や当時の「日達法主」の写真や日蓮正宗の「聖書」と呼ばれる「御書」
そして毎月会員向けに発行される「大百蓮華」のバックナンバーが書棚に所狭しと詰め込まれていた。その横には一台数十万円はする紫檀の大きい仏壇その上中央に日蓮正宗のシンボルと言える「鶴丸」が輝く。大阪市西成区や府北東部の守口・門真・寝屋川の各市に信徒数が異常に多い。暫くはその友人Tの言われるままに高校時代朝の五座、夕の三座のお勤めをしていたが、それからしばらくはその様な事でT宅に出入りしていたが、Tとの意見のすれ違い自分の父親が学会嫌いでいつの間にかその様な事は辞めてしまった。
それで独り暮らしをする直前再びTと再会。当時悩んでいたが入信した。身の丈に合わないのに大きな仏壇を買い来た業者の兄氏曰く「君は切り捨てられるよ」と意味深な言葉を残していったがその兄氏の言葉は正に当たり、生活は困窮を極め11年奴隷の様に扱われた不動産業者を逃げる様に退職父親の兄(伯父)宅から門真の父親のいる家に送還。その後も生活は相変わらず、その時から抑うつが蓄積されていたのだろうと。現在は創価学会とはきっぱりと一線を引き元々「神」の存在と言うのを信じていたので、現在は一介のクリスチャンとして、抑うつ等の精神障碍、免疫機能障碍等を背負い込み、懴悔(さんげ)しながら今大阪市の此花区の小さな部屋で生活保護と厚生年金(障害年金)を原資として慎ましく生活している。PCのあるスペースの上には十字架を掲げている。今後もこれまでの中にある原罪を懴悔しながら暮らしている。