満月

満月の日に決まって思い出す人がいる。
特に満月の日に出会ったわけでもないし、満月にまつわる話をしたことがあるわけでもない。
きっと、満月の日にわたしの調子が少し狂って、普段は心の奥にしまっていることがひょっこり出てきてしまうのだと思う。


その人と会ったのは、去年の夏の始まり。
街角で偶然ぶつかったり、カフェでたまたま同じ本を読んでいたりだとか、そういうドラマティックな出会いならわたしたちの関係はまた違ったのかもしれないけれど、わたしたちはごく普通にマッチングアプリで出会った。
コロナウイルスが猛威をふるっていて、まん延防止等重点措置を東京都がとっていたことを覚えている。それをわたしがマンボウと略して伝えたら、なぜかうけていた。その会話が、わたしたちのはじまりだった。

結局、その措置期間が明けたら会おうとはじめに言っていたにもかかわらず、わたしたちはその終了を待たずして会うことになった。待ち合わせは品川駅。回転寿司を食べよう、とその人は電話越しに誘ってきた。
会う前の自分の気持ちは大して覚えていない。きっとかなり緊張して帰ろうとしていた気もするが、少し遅れてやってきたその人と会った瞬間にその気持ちはどこかへ吹っ飛んで行ってしまった。
わたしたちは回転寿司屋に行って行列に驚き、すぐに諦めて近くの定食屋に向かった。どちらもどうしても寿司が食べたかったわけではなかった。
その人は、写真で見て想像していたほど整った顔ではなかったが、目元がきれいで、やさしい目をしていた。マスクをつけ続けるのが苦手らしく、定食屋に着くなり外していいか聞きすぐに外していた。マスクを外すと、特徴的な口元が目立った。

それから一週間後くらいに、また品川駅に行った。
その日は昼過ぎに会おうとしていたが、いい天気だからバイクに乗ってくると言われて、結局日が暮れてからわたしは品川駅に到着した。
その人は、待ち合わせが遅くなったことをすまなく思ったらしく、寿司屋の予約を取ってくれていた。
そんなに美味しくない寿司だった。何皿か気になる寿司を食べたら気が済んだ。その人は、止まることなく寿司を口に運んでいた。見ていて気持ちが良くなる食べっぷりだった。テレビで特集されていた、世界で活躍するマジシャンを思い出した。彼のマジックにまんまと引っかかったときの清々しさと、その人の前からどんどん消えていく寿司たちを見る清々しさはよく似ていた。

その後もデートを重ねるうちに、だんだんその人のことを知っていった。

動物が好き。
大学が嫌い。
バイクが好き。
車も好き。
ピザのデリバリーをしている。
祖父母と暮らしている。
何事にも動じない。
運転がうまい。
歌がうまい。
手が大きい。

わたしたちの間には、なにかきらきらとした、素敵なものがあった。それは言葉に出されることはなかったけれど、疑いようもなくそこにあった。
小さい頃に好きだった星の形の金平糖のように、きらきらしていて、あまくて、はかないなにかが。

ただそれは、ずっとそこにあり続けるものではなかった。
それはどこかのタイミングで、確かに失われた。
そのことに気が付いたときには、もう遅かった。それを取り戻すことはできないと思った。修復するには、素晴らしすぎた。そして、修復しようと努力するには、わたしはとても未熟で弱かった。だから逃げた。



いま付き合っている人とは、満月の日に出会った。
満月の夜、君のことを想っている、と欠かさず連絡をくれる。
そしてわたしは、過去から現在に戻る。
わたしのいるべき場所に立つ。
ナイーブな傷つきやすい少女としてではなく、一人の自立したプロフェッショナルとして。


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