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【映画評】クリストファー・ノーラン監督『TENET テネット』(Tenet, 2020)

 You see, madness as you know, is like gravity. All it takes is a little push.
『ダークナイト』(2008)ジョーカーの台詞より

 理屈はさて置き、視覚上の問題としては、これは水平軸において、ある人物の動きを前後ないし左右という逆ベクトルからの(双方向的な)同時攻撃によって封じ込めようとする映画で、そこに最終的な解決策として垂直軸における(一方向的な)落下運動が呼び込まれることとなる。
 水平軸に置かれた運動はグラデーションがなく二項対立的(前/後、左/右、過去/未来)で、入替え可能である(可逆性がある)。垂直運動(上/下)もまた二項対立的ではあるのだが、入替えは不可能で(不可逆で)上から下へという運動は、本作における決定的な作用因足り得ている。エリザベス・デビッキという稀代の長身女(191㎝)が本作のヒロイン(キャット)を務める理由がそこにある。
 『インターステラー』(2014)ほどの派手で直接的な描写はないものの、やはり「重力」だけが「時間」に左右されない(ノーラン映画世界の)唯一絶対の原則であり、それが生死を分ける決定打となることを最後のあの2つの落下(セイターとキャットのそれ)は示す訳だ。よって、この垂直運動を最大かつ最も適正なスクリーンに映し出す――できることなら池袋グランドシネマサンシャインの――IMAXでこそ、本作は見られるべきなのである(4DXは全く意味がないので注意されたし)。

補遺:『プレステージ』(2006)に次いで本作『テネット』でも主人公(の自我)が二重化する。そう考えるとき、時間の逆行やら『メメント』(2000)の記憶障害やら『インソムニア』(2002)の不眠やらも、自己を一つに定められない状態に「プロタゴニスト」、即ち「主人公」を陥れるための前提に過ぎず、ノーランは寧ろかかる仕掛けを通して「彼」をフィルムという「複製」芸術それ自体と戯れさせる。
 また、これも『プレステージ』で特にそうだったように、ノーラン作品における主人公「プロタゴニスト(protagonist)」は文字通り「先頭に立つ(prot)」「競争者(agon)」であり、それ故に真先に「苦悩(agony)」を引き受けることにもなる。その様な苦悩は垂直軸上での運動によってのみ良くも悪くも昇華され、その着地点にはたいてい「水」がある。
 もう一つ、本作において既にオッペンハイマーの名前と、原子爆弾の問題が取り沙汰されていたことは忘れないでおきたい。

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