【映画評】北村龍平監督『ミッドナイト・ミート・トレイン』(The Midnight Meat Train, 2008)
映画雑感
クライヴ・バーカーの同名小説(1984)の映画化作品である。北村龍平が撮った映画について雑感を述べれば、スプラッターがやりたいのかファンタジーがやりたいのかアクションがやりたいのか今一つ分からなかった。たぶんその全部なのだろう。
また、ミート・パッキング工場で働く「肉屋 butcher」を敵役に仕立て上げたはいいが、いかんせん監督を始めとする製作陣の屠畜に関する知識はひどいもので、数多のホラー映画同様、屠場とパッキング工場の区別すらついていない。特に、列車の中で連続殺人が起こるという設定は、本来、絶滅収容所への道行きを連想させるはずなのだが、やはり監督らに自覚はないようだ。スプラッター描写にコンピュータ・グラフィックスとスローモーションを多用する北村の演出にも疑問を感じた。
原作について
映画を観た後にクライヴ・バーカー『ミッドナイト・ミートトレイン』(集英社文庫)を読んだ。杜撰な映画版とは異なり、小説では、人間が正確に「家畜のように」血抜きされ、逆さに吊られ、内蔵を除かれ毛を剃られ、食される。近代都市の機能が排除、不可視化してきた行為が、ニューヨークの内奥で原=人間が執行する「祝祭」として再演されるのである。
都市は何を隠蔽して成り立ってきたか。その秘密が明かされようとしているとき、主人公は殺人者の安易なクリシェとしての「肉屋」などでは最早ありえない。男は西洋近代最大の贄としての「ユダヤ人」の末裔に他ならず、「列車」に運ばれた先で自分こそが「都市」の真の担い手であると知ることになろう。
〈引用文献〉クライヴ・バーカー『ミッドナイト・ミートトレイン—真夜中の人肉列車』宮脇孝雄訳、集英社文庫( 血の本[1])、1987年。
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