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【コラム】「再演の死の舞踏」②ーバートン、マイケル、ゾンビ

 唐突なようであるが、例えば、ハリウッド屈指のヒット・メイカー、ティム・バートンは、この「死の舞踏」という演目の直接的な継承者である。彼が製作総指揮を執った「ディズニー映画」、『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』(ヘンリー・セリック監督、1993年、米)は、その名もジャック・ザ・スケリントンという「骸骨」人形が主人公の「ミュージカル」映画ではなかったか。
 いや、なにも私が「こじつけて」いるわけではない。『ティム・バートンのコープス・ブライド』(2005年、英)、即ち、「死体花嫁」という監督作では、なんと、まさしく、前記1929年の『骸骨の踊り』が最新のモーション・ピクチャー技術をもって「再演」されているのである。いわずもがな、バートンは、かつて、ディズニー・スタジオのアニメーターであった。アブ・アイワークス以来の「伝統」は、彼の中に今も確かに息づいている。
 時代は少し遡るが、もう一人、「死の舞踏」を正統に継承した者がいる。誰あろう、歌手のマイケル・ジャクソンである。1983年、彼は『スリラー』によって未曾有のレコード売り上げを記録する。楽曲そのものの力はもちろんのことだが、これが世界を巻き込む「社会現象」にまでなったのには、この曲のプロモーションのために流されたMTV(ミュージック・ビデオ)の影響力が非常に大きかった。マイケルがゾンビと踊る例のビデオだ。
 製作を依頼されたのは、映画監督のジョン・ランディスである。ここで史上初めて、MTVに映画的手法が導入されることとなった。ショート・フィルムさながらの体裁を持つこの『スリラー』によって、いうならば、マイケル・ジャクソンとジョン・ランディスは、このとき、MTVを新たなメディアとして「再生」したのである(注1)。世界中の人々が、今まで目にしたことのないような「映像音楽」を体験し、驚愕した。
 そこでは、墓場から這い出したゾンビたちが、自らもゾンビと化したマイケルと共に、またも『骸骨の踊り』同様、おどろおどろしくも滑稽なダンスに興じている。要するに、これもまた「死の舞踏」の現代的ヴァリアント(変奏)なのである。ただし、「ゾンビ(蘇生死体)」というからには「死肉」付きだ(注2)。では、なぜ、現代のアメリカで、「死人」たちは再び腐肉を身にまとうはめになったのか。
 「(モダン・)ゾンビ映画」の元祖と考えられているのは、ジョージ・A・ロメロの監督第一作、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』である。これが劇場にかけられたのは1968年のことであった。そして、我々はここで即座にとある歴史的事件を想起せざるを得ない。
 この映画がアメリカで封切られる直前まで、主に南部のアフリカ系住民の公民権運動(1954年~65年)に対する弾圧で、彼らの死体が累々と積み上げられるという悲惨な出来事が続いていたのだ。テレビの普及は、これを大衆の目にさらさずにはおかなかった(注3)。「ゾンビ」たちはそういった時代にこの世に「生」を受けた。
 また、後に一連の「ゾンビもの」に特殊メイク・マンとして参加し(注4)、後続のホラー映画にも決定的な影響を与えることになるトム・サヴィーニは、この当時、ベトナム戦争(60年~75年)にカメラマンとして従軍していた。彼は、帰還して後、かの地で自分の周りにゴロゴロ転がっていた「死体」を「ゾンビ」として「蘇生」させる(注5)。
 かくて、ジェノサイド(大量虐殺)の直接の目撃者の手によって、身軽だった「骸骨」たちがふたたび「受肉」する。そして彼らは、稀代のポップ・スター、マイケル・ジャクソンと最新の媒体を得て、「死体群舞」を再び踊り始めるのである。大衆は空前絶後の熱狂でこれを支持した。それを現代の「死の舞踏」と呼ばずして何と呼ぼうか(注6)。
 かつて、演劇や壁画、木版本は最新のマス・メディアであった。「死の舞踏」はいつの時代にも最先端の表現媒体と結びつく(注7)。 今さらいうまでもなく、メディア media とは本来、「霊媒」のことである。我々が決して直接感知することができない「死者の世界」を「媒介」するものだ。しかして、我々は、いつの時代も、メディアの向こうに「死」が踊るのを幻視する(注8)。「死の舞踏」とは、ついに、時代の精神の映し鏡なのである。
 さて、21世紀の「死の舞踏」は、どのように踊られるであろうか。

注1:それまでのMTVは、せいぜい、突っ立ったままの歌手が踊り歌う様やライブの様子をそのまま映し出すだけのものだった。
注2:無論、「ゾンビ」とは、もともと、西インド諸島で信仰されている「蘇生死体」のことであり、一連の「ゾンビもの」は、直接的にはそこから題材をとっている。
注3:アメリカでテレビの実用放送が始まったのは46年。一般家庭にテレビが普及するのは50年代のことである。これによって映画産業は大打撃を受ける。
注4:『ゾンビ』(G・A・ロメロ監督、78年、米/伊)、『死霊のえじき』(同、85年、米)など。
注5:『ゾンビ映画大事典』を著した伊藤美和は、こういった『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』への時代背景の影響を「深読み」する態度を疑問視している。「脚本家ジョン・ルッソの言葉を信じるなら『NotLD』に政治的な含みはないようだ。(中略)印象的なエンディングも様々に深読みされてきたが、これまたジョン・ルッソによれば、観客を驚かせる以外の狙いはなさそうである。(中略)もちろん、どんな映画も、意識的・無意識的に現実を反映するものであり、『NOTLD』が例外だというつもりはない。ただ本作について記事が書かれる度、当たり前のように公民権運動やベトナム戦争が引き合いにだされるので、少なくとも本人にその意志がなかったことだけは強調しておきたい」。伊藤美和、376頁。
注6:前述のような「アメリカ的」文脈を踏まえれば、マイケル・ジャクソンは、メディアに大々的に登場した当初から「ブラック・アフリカン」の宿命を背負っていたといえるわけである。そう、『スリラー』とは一種の「恨み節」なのだ。
注7:そういった意味では76年に大ヒットした『ホネホネ・ロック』(詩:高田ひろお、曲:佐瀬寿一、歌:子門真人)も日本の「死の舞踏」現象として考察することができよう。
注8:だから、『リング』(中田秀夫監督、98年、東宝)の「貞子」がテレビや映画のスクリーンの「向こう」から「こちら」側へ這って出てくるのに我々が戦慄を覚えてしまうのも故なきことではないのだ。

[参考文献]
伊藤美和編著『ゾンビ映画大事典』,二〇〇三年,洋泉社.
梅津忠雄編著『ホルバイン 死の舞踏―新版―』,岩崎美術社,一九九一年.
小池寿子『死者たちの回廊―よみがえる「死の舞踏」―』,平凡社ライブラリー,一九九四年.
堀越孝一『騎士道の夢・死の日常―中世の秋を読む―』,人文書院,一九八七年.
同「中世の秋・死の日常」,『死とルネッサンス』(ルネッサンス双書一八,ピーター・ミルワード、巽豊彦監修,ルネッサンス研究所編),荒竹出版,一九八八年,三五~七〇頁.
村山匡一郎編『映画史を学ぶクリティカル・ワーズ』,フィルムアート社,二〇〇三年.
四方田犬彦「映画と恐怖」,『映画史への招待』,岩波書店、一九九八年,一四八~一五六頁.

[参考映像(文中で扱ったものは除く)]
アダム・サイモン監督『アメリカン・ナイトメア』(2000年、米/英).

追記(2008年12月3日)
 最近、リエージュ大学の Dick Tomasovic が2006年に出した本で私と同じようなことを書いているのを発見。でも『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』については言及しているが、執筆が間に合わなかったせいか『コープス・ブライド』については写真しか載せていない。また、中世については私の方が詳しいし(ちゃんとアリエスを引用してはいる)、腐肉のあるなしについても言及していないが、アニメにおける「死の舞踏」表現の変遷については Tomasovic のがずっと詳しい。ということで、"The Skeleton Dance", Le corps en abîme. Sur la figurine et le cinéma d'animation, Rouge Profond, Pertuis, 2006, pp. 66-69. も参照されたし

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