その記憶、本当に「真実」ですか?
毒親である母とは、大人になってから何度か話し合いをした事があります。
でも前回のblogにも書いたように、
「私はそんなこと言ってない!
被害妄想がすぎる!」
と、まるで私の記憶違いかのように言われて話し合いになりません。
(もう諦めましたが)
↓これの事もそう。
私は海外ドラマ・クリミナルマインドが好きだ。
(FBI行動分析家の活躍を描く犯罪捜査ミステリー)
犯罪者は私のように育ちが複雑なことが多い。
生育環境に問題がある事も多いのだ。
だが、一線を超えてしまう人と越えない人の差はどこなのだろう?
それが知りたくて何度も見てしまう。
クリミナルマインドでは名言・格言がナレーションで入るのだが、印象に残っているものが幾つかある。
「記憶とは複雑なものだ。
真実の親戚ではあるが、双子ではない」
バーバラ・キングソルヴァー
「過去の記憶がよみがえる時、
それは必ずしも事実の通りとは限らない」
マルセル・ブルースト
私の記憶もそうかもしれないし、母の記憶もまた違うのかもしれない。
人は主観で物事を記憶している事の方が多いだろうし、私の話を全て信じるて母を悪役に仕立て上げるのは危険かもしれない。
では記憶とはなんだろう。
私が書いている話はあくまでも私の記憶を辿っているものだが、幼少期の事だから自分でも自信がない部分もある。
なにせ一昨日の夕飯でさえ思い出すのも一苦労なのだから。
インパクトが強くて忘れられない、脳にこびりついている記憶を書くようにしている。
優しかった記憶ももちろんあるのだ。
ただ、それが私の望んだものとかけ離れていただけで。
毒親ではあったと思うけれど、虐待はされていない。たぶん。
そこの線引きも難しいものだけど。
きちんといい面も悪い面も振り返りたい。
「過去の記憶を何より克明に蘇らせるのは、
それにまつわる匂いである」
ウラジミール・ナボコフ
なので私の記憶に関する事は、匂いまで覚えていると「これは自分の記憶を信じていいのだろうな」と勝手に思っています。
ストリップ劇場の匂い、お姉さんたちの匂い、臭いトイレに書かれた英語の落書き・・・
記憶を疑うことは、自分を疑うことだ。
なるべく真実に近づいて書いていきたいと思います。
そして自分の心を整理したい。
自分を赦して、母を赦したい。
いつか書ききって、そんな日が来ればいいなぁと思っています。
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