化け物たちのバカ騒ぎ・4(最終話)
第三話:https://note.com/jolly_lily783/n/n670ee840811c
私は地面にへたり込んだまま、夜空を仰いだ。
そこかしこに真珠や銀をちりばめたように月や星がよく見えるほど、透き通っていた。今の私の曇天のように濁り切った気分とは対照的に。陰鬱なため息を漏らして、思わず俯いてしまう。
「どうした、華乃?」
そんな私に、母さんが声をかけて近づいてくる。猫よりもなめらかで音のない身のこなしで。カーミラにえぐられた腹の傷は既に完治しているようだ。敗れた服の隙間から、傷一つない滑らかな白い皮膚がのぞいでいる。
ふと気づくと母さんの他には誰もいない。カーミラも陰陽師たちが連行していったようだ。
「傷が痛むのかい?」
「ううん、大丈夫……」
私はかぶりを振って小さな声で答える。
立ち上がる様子も見せずに悄然としている私の横に並ぶように、母さんがしゃがみこむ。
「……落ち込んでいるのかい?」
「……うん」
母さんの遠慮がちな問いかけに正直に頷く。今しがた見た母さんの圧倒的な力を見ると、自分が地の底にいるような思いに駆られる。
幼いころから『自分は落ちこぼれだから捨てられた』という劣等感は常に抱いていた。
だからこそ、落ちこぼれから脱却しようと必死に頑張っていた。妖狐としての変化の訓練も、人間としての勉強も。この『アルバイト』も。
自分はもう落ちこぼれではないのだと、無力で未熟な存在ではないのだと、ひたすら必死に証明してきたつもりだった。
だがそれはただの錯覚だった。私は結局、どうしようもなく未熟で無力な存在なのだ。
そうではないと憤り、努力して足掻き続けること自体間違いなのかもしれない――
「……よくない方向に思考が転がっているね」
とめどなく後ろ向きな思考に沈み込んでいる私に、涼やかな声がかかる。
「そう落ち込むことは無い。今回は相手が悪かっただけだ」
「……でも母さんは、カーミラを圧倒していたよ」
「私はこれでも一応、長く生きている妖狐で色んなお寺やお社で祀られている存在だからね。あれは私だけの力ではないよ。ただの雑な力押しで誇れるような勝ち方じゃない」
そう語る声音には、自分の圧倒的な力に酔いしれている様子はない。いたって平静で淡々としており、透き通った声質と相まって鈴の音色のようだ。
「……聞いてもいい?」
「なんだい?」
「母さんはどうして私を拾ったの?」
私は、母さんの顔を見ないまま以前から抱いていた質問をぶつける。
気になっていたが、ずっと聞けずにいたのだ。哀れみだろうか、同情だろうか――
「……その、正直に言うとだね。あまり立派な理由ではないんだ。私はただ……自分の為に家族ごっこがしたかったんだ」
ためらうような沈黙の後に、嘘偽りない言葉が紡がれる。
「……自分の為に?」
「そうだよ。私は人間との間にはそれがかなわなくてね」
涼やかな声が翳りを含む。玲瓏とした声音に哀愁をにじませたまま、母さんは私に問いかける。
「その……がっかりしたかい?」
「ううん、むしろ嬉しい」
「嬉しい?」
母さんの訝しそうな鸚鵡返しの言葉に、私は頷く。母さんの声音には言葉通り、哀れみや同情の類が一切こもっていない。
嘘偽りなく私を『落ちこぼれ』だとは一切思わず、私の存在をごく自然に肯定してくれている。
それがたまらなく嬉しくて、安堵できる。お風呂に入って冷え切った体が温まるのと同じように。
「……あのね、母さん。ずっと言おうとして言えなかったことがあるの」
「なんだい?」
「……私を娘にしてくれてありがとう」
母さんの涼やかな眼差しをまっすぐに見据えて私は言う。透明度の高い藍玉のような瞳がかすかに見張られた後、ほのかな笑みを含んでかすかに細まる。
「……こちらこそ、私を『母さん』にしてくれてありがとう」
はにかみを含んで言うと、母さんはしなやかな身のこなしで立ち上がる。
「さて、それじゃあそろそろ帰ろうか」
「うん」
頷いた私が立ち上がると母さんの姿が緩やかに変化する。中性的で玲瓏とした美女の姿から、白面金毛九尾の狐へと。
雪が降り積もったような白い尾の群れがふわりとなびく。純白の火炎の如き尻尾が先から徐々に色づいていく。稲穂を束ねたような黄金色へと。眩い黄金色の輝きはやがて全身を覆っていく。豊麗な尻尾とは対照的なほっそりとした体つきを。
雪のように白い面を残して、朝焼けの光のようにまばゆくも清爽な金色の毛並みをなびかせる母さんの神々しい姿に、私は束の間見惚れてしまう。
「行くよ」
母さんに促されて私は我に返り、母さんの背中に飛び乗った。
ふわりと柔らかな毛並みの感触を味わっていると、母さんが地を蹴って夜空に跳ぶ。
夜空の色を眺めていると、幼いころに母さんのような博識になりたくて様々な図鑑などを読み漁っていた時のことを思い出した。
その中の一冊――鉱物図鑑の中で紹介されていたラピスラズリを砕いて染め上げたような藍色の夜空の中に、真珠のような満月と銀の粒をまき散らしたように数多の星が煌めいている。
虚空を踏みしめるように夜空を飛翔する母さんの背で、私は改めて決意する。
強くなるため、足掻き続けようと。
……それから数日が過ぎた。私は相も変わらず、大学に行って講義を受けてレポートを書いて提出する。人ごみに満ちた日中の世界を眺めると、これもまた『化け物たちのバカ騒ぎ』と言えるのかもしれないと思う。
ボランティアにいそしみ見知らぬ誰かを救う人間もいる一方で、見知らぬ人が遭う災難を下衆な野次馬根性で楽しむ人間もいる。
まっすぐで気高い一面と、気持ち悪くて下卑た一面を併せ持つ昼間の化け物の姿を見つめて
「……まあそれは私たちも変わらないか」
と私は呟いた。
休憩時間にインターネットを眺めると、また殺生石が割れたニュースと戦争を結びつけて楽しんでいるような不愉快な書き込みを見かけて、私は思わず眉を顰める。しかもその書き込みをした当人は自分が『玉藻前の新しい物語を創作している』と勘違いしているらしい。
だがそれに対して新たな書き込みが入る。
私と同じようにその書き込みを不快に思ったらしく『あなたのやっているのは、玉藻前の新しい物語の創作ではなく、実際に死者が出ている出来事そのものを野次馬根性で面白がって楽しむために、殺生石が割れたニュースを利用しているだけではないのか』と書かれてあった。
その書き込みに対する反論はなし。どうやら図星を突かれたらしい。
私はなんとなくすっきりした気持ちになって
「ま、人間も捨てたもんじゃないか。妖怪と同じように」
とつぶやく。
学業にいそしむ傍らで『アルバイト』に――化け物たちのバカ騒ぎにも出ている。ただし、今回は一人ではない。
「るおおおっ!」
夜の静寂を引き裂くような咆哮をあげるそれは、一応人の形を成していた。ただし、見上げるような巨躯を備えて頭部には一対の角が生えている。
鬼だ。日本では最もポピュラーな妖怪と言える。
私は手にしたライフルを慎重に構えて撃つ。頭部を狙ってはなった銃撃を鬼はあろうことか、腕で受け止めてしまう。
受け止めた腕は肉がえぐられているが、戦闘不能な傷とは言えない。その傷も見るまにふさがってしまう。
にいと、口が裂けそうなほど口角を吊り上げて薄ら笑いながら、鬼はそのまま突進してくる。
「危ない!」
そう言って鬼に向かって手をかざしたのは、今回一緒に『アルバイト』をしている仲間――漆を塗ったように見事な長い黒髪と白磁のような色合いの肌が目立つ、綺麗な少女――雪女だ。彼女のかざした手の先で冷気が凝縮し、鬼の片足が氷漬けになっていく。動きを止めた鬼は、自分の足元を見つめて忌々しそうに顔をゆがめる。
私はその間に銃撃を続ける。再度放ったライフル弾を鬼はまたも腕で受け止めて致命傷を防ぐ。かまわず私は続けてもう数発撃つ。それもどうにか耐えた鬼は、もう片方の腕で氷漬けになった足を強引に引きちぎることで、氷の拘束から脱した。
「うそ!」
「さがって!」
思わず愕然と叫ぶ雪女を下がらせて私は、銃撃を続ける。
鬼が私の方へ突進した時私はそのまま大きく横に跳ぶ。だが逃すまいと鬼の手がこちらに伸びてくる。
「はっ!」
私が素早く出した尾を打ち合わせると、茜色の狐火がともり鬼の全身を包み込む。
「があああっ!」
驚愕と苦痛にのたうちながら鬼は絶叫する。
私はその隙に距離を取りながら、なおもライフル弾を撃ち込む。
苦痛にもがく鬼だが、狐火が体を焼く速度より鬼の再生速度が上回ったらしい。
全身にまとわりつく狐火がやがて掻き消え、勝ち誇ったような獰猛な笑いを口元に刻んだ鬼がこちらに突進しようとするが……
「……っ!」
突如足元がふらついた。歩くどころか直立もままならぬ状態になって膝をつく。立ち上がろうともがくも、そのまま倒れ伏した。
「……効いてくれたか」
「効いてくれた……?」
安堵の吐息と共につぶやいた私の声を、耳にした雪女が眉を顰める。
「ああ、鬼の弱点……ヒイラギの葉やイワシの頭、菖蒲とヨモギなどを材料に作った鬼専用の毒を作って銃弾にたっぷり塗っといたんだ」
と私は説明する。某有名漫画では、日光と藤の花が弱点だったが。
「すごい!そんなものを作ることができるなんて、やっぱり狐さんは博識で賢いのね。それに引き換え私ったら役立たずで……」
「そんなことないさ。私の知識は全部母さんの受け売りだもの。それに、君の氷漬けのおかげで銃弾をしこたまぶち込むことができた。助かったよ、ありがとう」
私がそう言うと雪女は曇天のように曇る表情を、はにかむような笑みに変えた。
「母さん、今仕事終わったよ」
「お疲れ様、それにしても君が誰かと組んで仕事をするとは、驚いたよ」
スマホで母さんに連絡を取ると、母さんはいつも通りの涼やかな声で私にねぎらいと淡い驚きを含んだ言葉を送った。
この『アルバイト』は通常は二人一組で行うことが多いのだが、私はかたくなに一人でやっていたのだ。
「うん。私今まではね、お金を稼ぐためという理由もあったけど、自分の力を証明したいという思いもあって仕事をやってたの。それに誰かと組んでもその相手から馬鹿にされたりしたらどうしようって思いもあった。だから、2人でなんて嫌だ、かならず一人でやってやるって思ってて……」
私はここ数日考えていたことを、言葉にして母さんに伝える。
「でもね、やっぱり自分一人でできることなんて限りがあるし、それを認めないと、また前みたいに自分だけじゃどうしようもない事態に直面したらそのまま死ぬかもしれないし、思い切って二人でやっていたの。……相手の子、すごく優しくていい子だった」
「そうか、よかった。だがくれぐれも気を付けて。それじゃそろそろ切るよ」
「うん」
そう言って私は電話を切り、自宅に戻る。
アパートのドアを開けて、洗面所の鏡を眺める。
癖のない長い金髪を結い上げずに垂らし、細面の中で目じりが吊り気味の眼が目立つ。その中に色淡い琥珀をはめ込んだように、薄い黄褐色の瞳がこちらを見据えている。
友人からシャープな印象の美人だと言ってもらったことはあるが、正直そうは思えなかった。母さんの方がずっと凛々しくて涼やかで綺麗だと思っているのもあるが、やはり常日頃から抱いている劣等感のせいで自分の容姿も好きになれずにいたのだろう。
だが今は――
「……少しはマシに思えるかな」
私はそう呟き、改めて決意する。
母さんは今の私でも存在を肯定してくれている。自分の存在を無条件で肯定してくれる誰かがいるのは、幸せなことだと分かっている。
だが、自分でも自分の存在を肯定できるようになりたい。そのために学業も仕事も頑張ろう。
そう思い、私は明日の大学の講義に備えて早く寝ようと風呂に入り始めた。
昼も夜も、化け物たちのバカ騒ぎは続くのだ。