「エクスパッツ~異国でのリアルな日常~」に感情移入しすぎる。

私は女だ。
そして、時々女であることに腹が立って仕方がなくなる。
怒りは一週間くらい続く。
なぜ当たり前のように女が犠牲を払い続けるのか。
その悩みは凡庸すぎ、
みんな我慢しているという謎の言い聞かせ(自分への)によって
急に日常に紛れてなくなる。

そんな気持ちをまた思い出してしまった。
まさかニコールキッドマンに
感情移入する日が来るなんて。
ニコール・キッドマンだけではない。
このドラマに出てくる全員の女性がまさに
いつかの、今の、未来の自分であり、
自分の母や妹や友人の姿でもある。
容姿やお金、国、年齢全く違う女性たち。
この嫌さ、つらさ、寂しさ、悲しみは
誰にもわかってもらえない。
誰かと共有しても最後には一人で戦うしかないと
もう彼女たちは悟っているかのようだ。

子供を産むこと、キャリアを捨てて産むかどうか、
無事に育てること、教育、美しさ、可愛げ
重すぎる責任と長すぎる時間。
男たちは他人事みたいな顔をして言う。
家政婦にやってもらえばいいじゃないか。
君が母親だろ。
子供を産んでくれ。
いい条件の仕事なんだよ、お願いだ。
ごめん、行けなくなった。
何かあれば起こるか、泣き崩れるか、
すねて別の女に走ればいい。
このドラマの男性陣は深みがなく、まさにステレオタイプだ。

こんなことをしているうちに
私の人生は終わってしまう。
男性たちが自分の人生を歩んでいる間に。
気がつかずに押し付けられた名もなき仕事を、
させられている間に。
嫌だ!私たちはおかげでどこにもいけないじゃないか!

強くなりすぎた私たちはもうかわいくはない。
騙されないし、優先順位の一位はあなたじゃない。
結局どうなるかは明白なのだ。
私は悪女フリート。
悲しいし、見苦しいし、恐れられ、醜い。
何世紀か分の女性の悲しみが
私の上にのしかかるように感じられる。

どうして私は男が羨ましいのだろう。
言うことをきかず、自分のタイミングで
自分のやり方で、ひょいと上がっていく男たち。
優しくて、甘えるだけ甘えて、
自分を変えるべきなんて微塵も考えない男たち。

もう先に進みたい。
彼女たちのように。

悲しくて重くて美しくて素晴らしい女性たち。
女性として生きていくことを
嘆かずに何度でも立ち上がって生きていきたい。

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